オグリの里

受け継がれ、走り続ける「オグリ魂」

写真:小栗孝一メモリアルの表彰式。長女の勝代さんと勝利を飾った吉井友彦騎手ら

小栗孝一メモリアルの表彰式。長女の勝代さんと勝利を飾った吉井友彦騎手ら

 笠松競馬と愛馬に情熱を注ぎ続けた小栗孝一さん。亡くなられる2日前、カレンダーを指さして発した最期の言葉も「競馬」だったという。

 今年の「オグリキャップ記念」のレース当日は、初代馬主だった小栗さんをしのぶかのように涙雨となり、表彰式では特に雨足が強くなった。第9Rでは「小栗孝一メモリアル」も行われ、馬主を引き継いだ長女の江島勝代さんに話を聞くことができた。

 「一馬主でしたが、笠松競馬は父の人生でした。このような形でレースをやっていただき、うれしいです。織田信長のように『人生50年』との考えから、50歳で仕事をやめてからは馬一筋で好きな事をやり、笠松に通い続けた。車を運転できなくなってからも、私が連れていきました」と振り返り、小栗孝一メモリアルの表彰式では、オーロラバイオ(牝4歳)で勝った吉井友彦騎手を祝福した。

写真:2005年、笠松競馬存続のため里帰りしたオグリキャップと再会。「お帰り」と声を掛ける初代馬主だった小栗孝一さん

2005年、笠松競馬存続のため里帰りしたオグリキャップと再会。「お帰り」と声を掛ける初代馬主だった小栗孝一さん

 愛馬たちに対しては、「馬主を何十年もやっていた父でしたが、とにかく無事に走ってくれることを願っていた。全ての持ち馬に『オグリ』という名を付けて、いつも自分の名前が呼ばれているような気がしていたようです」と勝代さん。キャップの中央移籍後も、出走したレースを各競馬場で観戦していた小栗さん。所有馬で手放したのはキャップだけだったが、有馬記念を2度制覇するような国民的スターホースに成長してくれて、「手放したことに後悔はなかった。キャップはすごいドラマをつくってくれたから」と大活躍を喜んでいた。

 小栗さんが笠松競馬の馬主になったのは1971年。当初、成績はパッとしなかったが、2年後に人生を変える馬と出会った。「アラブ種だったオグリオーの強さが記憶にあります。サラブレッドをバサバサとやっつけて、父も馬主としてはまっていった」と勝代さん。オグリオーは、73年にデビューし23勝を挙げたアラブの怪物。77年には「くろゆり賞」でサラブレッドに挑んで優勝。引退後には、その活躍をたたえる重賞「オグリオー記念」も創設された。2002年まで笠松の名物レースとして開催され、キンカイチフジや女傑スズノキャスターらが優勝馬となった。

 昨年秋以来、新たな馬主となって、父の愛馬たちを大切に引き継いできた勝代さん。「オグリキャップ記念に持ち馬が出ることは、父の悲願であったはず」と、キャップを大叔父に持つオグリタイム(北海道)を今回出走させた。コースを2周する長距離レースで果敢に先頭に立ち、最後は失速したが見せ場たっぷりだった。

 「娘として父の意志を継ぐことが、馬一筋に人生をかけた父に対する最大の供養」という勝代さん。昨年はデビュー馬がいなかったが、今年はオグリタイムと同じ牧場生まれのオグリランダル(2歳牡馬)が登録された。父デュランダル、母はサツキアラシ。門別で能力試験を済ませ、近くデビュー予定だ。オグリタイムが2歳時から重賞勝ちを収め、副賞としてデュランダルの種付け権を獲得していたことから、孝一さんの持ち馬となっていた。キャップの血は引いていないが、今後の活躍が期待される1頭となる。

 経営難による競馬場の存廃が検討された苦しい時代にも、地元の馬主として笠松競馬を支え続けた小栗さん。現在では「オグリ」の名の付く馬たちは笠松、北海道などに13頭ほどになったが、天国に旅立った小栗さんの夢の続きは終わることはない。最後まであきらめずに走る姿でファンの心を揺さぶったキャップやローマンら。笠松育ちの熱い「オグリ魂」は、次世代の愛馬たちに受け継がれ、全国で走り続けることだろう。

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コメント一覧

ミーちゃんだいすき / 2016.5.13
受け継がれ、走り続ける そのままの意味があるコラムですね。上手くは例えれませんがこのコラムの想いが伝わってきます。
オグリが走り続けた時代に行ってみたいと思いました。無理だけど・・・

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筆者プロフィール

【ハヤヒデ】
80年代から笠松競馬を愛し、オグリキャップの走りに感動した競馬ファンの一人。岐阜新聞社に勤務。