オグリの里

「幻のダービー馬」と呼ばれて(ダービー特集@)

写真:JRA時代、レースを控えたオグリキャップ

JRA時代、レースを控えたオグリキャップ

 日本ダービーの季節になると思い出すのは、笠松育ちの「野武士・オグリキャップ」の圧倒的パフォーマンス。1988年6月5日、東京競馬場で「事件」は起きた。関西での重賞3連勝後、東上して挑んだニュージーランドトロフィー4歳S(GU)を圧勝した。その強さは関東の競馬ファンにも大きな衝撃を与えた。ダービーは1週前に終わっていたが、「オグリキャップが出ていたら、きっと勝っていたよ」と騒がれ、「幻のダービー馬」と呼ばれた。

 ニュージーランドトロフィー4歳Sは、キャップが最も得意としたマイル戦(生涯7戦7勝)。最後の直線では「追っていない、追っていない、河内(騎手)は手綱を持ったままでゴールイン」とテレビ実況の声が響き、2着リンドホシに7馬身差をつけての完勝。解説を務めた大川慶次郎さんも「桁違いですね」と強さに脱帽したコメント。走破タイムは1分34秒0で、ニッポーテイオーが勝ったGT安田記念より0.2秒速かった。あまりの楽勝ぶりに「日曜日の昼下がり、オグリキャップは東京競馬場で強めの調教を行った」といった味のある表現で、競馬誌もその強さをたたえた。

 ゲート入りの際には、ブルブルッと首を振って武者震いする姿が印象的で、重賞での連勝街道に「芦毛の怪物」とも呼ばれた。誰もが認める「世代最強馬」であったキャップだが、クラシック登録がなかったばかりに、皐月賞、日本ダービー、菊花賞のクラシック3冠レースには出走できなかった。当時はクラシックに出走するためには、前年に予備登録することが必要だったが、笠松時代の初代馬主だった小栗孝一さんにとって、中央のクラシック登録は想定外のことだった。

 笠松時代にはアンカツさんらを背に12レースを戦い抜き、中央入り後は既に古馬のような風格を漂わせ、重賞6連勝と同世代を寄せ付けなかったキャップ。もし仮にクラシック3冠レースに出走できていたら、結果はどうだったのか。同世代の馬たちとの力の差を比較してみよう。

 まずは2000メートルの皐月賞。この年は東京で行われ、優勝したのはヤエノムテキで、2着はディクターランド。この2頭はキャップが勝った毎日杯で4着と7着に敗れており、キャップにとっては「勝負づけが済んだ相手」だった。2000メートル戦は毎日杯、京都4歳特別で連勝しており、距離適性も十分。皐月賞は難なく制覇し、1冠目を突破していたことだろう。

 ※オグリキャップがクラシック3冠レースに出走していたら、何冠制覇していたと思いますか。V確率でもいいです。皆さんの意見を聞かせてください。

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