オグリの里

「幻の3冠馬」オグリキャップ(ダービー特集A)

写真:1990年の有馬記念を制したオグリキャップ

1990年の有馬記念を制したオグリキャップ

 「幻のダービー馬」オグリキャップがクラシック3冠レースに出走できていたら、同世代優駿による「夢の第10レース」の結末はどうだったのか。

1988年の日本ダービー(東京、2400メートル)はフルゲート24頭立て。今年と同じように戦国ダービーで大混戦だった。1番人気は阪神3歳S(GT)覇者のサッカーボーイ。その名の通り「強烈シュート」とも表現された差し脚が武器のスプリンターでファンの人気は高かったが、外枠スタートで15着に敗れた。皐月賞優勝の2番人気ヤエノムテキも伸び切れずに4着に終わった。

 ダービーを勝ったのは、皐月賞3着で3番人気のサクラチヨノオー(小島太騎手)だった。ゴール前で差し返し、父マルゼンスキーの子として初めてのダービー馬となった。故障で1年間療養し、復帰後の安田記念と宝塚記念で惨敗して引退。残念ながらキャップと対戦することは一度もなかった。

 オグリキャップの主戦・河内洋騎手は「直線入り口で1秒以内なら差し切れる」と豪語していたが、東京競馬場の長い直線は高い能力を存分に発揮できた最高の舞台。ニュージーランドトロフィー4歳Sでの楽勝ぶりや、ダービーと同じ距離2400メートルのジャパンカップでタマモクロスに続く3着に食い込むなど、キャップの差し脚は破壊力十分だった。ダービーでも残り200メートルほどで力強く抜け出して、楽々と2冠を達成していた可能性が高い。サクラチヨノオーとの直接対決が実現していたら、ダービー馬を倒す「幻のダービー馬」の強さも見ることができただろうが…。

 3冠目となる菊花賞では、キャップに「距離の壁」が問われたことだろう。18頭立ての京都3000メートルを制したのは、当時まだ19歳だった武豊騎手が騎乗した3番人気スーパークリークだった。獲得賞金額の面では、出走資格は19番目だったスーパークリークだが、出走回避馬があり、抽選なしでゲートインできた。ただ、獲得賞金上位のキャップが出走していたら、スーパークリークは菊花賞を走ることすらできなかったかもしれない。

 キャップの秋初戦は毎日王冠で、シリウスシンボリら古馬一線級を圧倒し、中央デビュー以来重賞6連勝。続く秋の天皇賞、ジャパンカップでは、古馬最強馬のタマモクロスと「芦毛対決」の死闘を演じて2着、3着を確保した。菊花賞に出走していたら、相手はスーパークリークただ1頭。皐月賞や日本ダービーほど楽な展開ではなかっただろうが、脚の骨折で春の出走を断念するなど順調さを欠き、クラシック初挑戦となったスーパークリークとは互角以上だっただろう。

 キャップはその後、2500メートルの有馬記念を2勝しているように、距離が延びても苦にしないタイプ。競走能力の絶対値の高さから同世代とは次元の違う走りを見せており、3冠目となる菊花賞も制覇した可能性は80%以上あったのでは。クラシック登録がなく、世代を超えた戦いに挑んだキャップだったが、その強さは圧倒的で、スーパークリークも撃破していたに違いない。「幻の3冠馬」と呼んでもいいだろう。

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