オグリの里

オグリキャップ「仕事の流儀」とは

写真:1991年1月、笠松で行われたオグリキャップの引退式。安藤勝己元騎手を背に周回し、約3万人のファンが声援を送った

1991年1月、笠松で行われたオグリキャップの引退式。安藤勝己元騎手を背に周回し、約3万人のファンが声援を送った

 NHKの人気番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、芦毛の怪物と呼ばれた伝説の名馬オグリキャップが特集され、「ただ、ひたすら前へ」と題して放送される。これまで第一線で活躍する仕事人たちに密着取材してきたが、今回は特別企画となる。

 放送日時 2月13日(月)22:25〜23:15
         NHK総合
        2月20日(月)15:10〜16:00
         NHK総合(再放送)

 昨年12月初め、「オグリの里」を読んだというNHKディレクターから「キャップの笠松時代の写真がないですか」と連絡があった。岐阜入りして笠松などで取材を進め、放送予定の「プロフェッショナル」の資料にしたいということだった。だが、当時の笠松には強い馬がごろごろいたし、まだ2歳馬だったキャップの写真は少なかったため、笠松時代の全レースを解説した関連本などを資料提供した。

 キャップは1987年5月、笠松でデビューし今年で30周年。笠松時代のハードな調教で鍛えられて実力が開花。血統や生まれ育った環境などの「格差」を乗り越えて、中央移籍後もエリート馬を次々と倒し、有馬記念などGT4勝を飾った。番組では競走馬の仕事の流儀として、キャップの「走り」に迫る。

写真:1990年の有馬記念で、武豊騎手を背にパドックを周回するオグリキャップ

1990年の有馬記念で、武豊騎手を背にパドックを周回するオグリキャップ

 調教師や騎手、馬主たちの証言では、ラストランの有馬記念でオグリコールを浴びた武豊騎手や、昭和最後の名勝負でタマモクロスとの芦毛対決を制した岡部幸雄元騎手らが、キャップの格好いい生き方や心がぶれない仕事ぶりを語る。

 笠松時代では、キャップを育てた鷲見昌勇元調教師をはじめ、主戦の安藤勝己元騎手、デビュー戦と3戦目に騎乗した青木達彦元騎手(現調教師)らが、調教でキャップを鍛えた思い出などを語る。初代馬主だった小栗孝一さんの家族からも、キャップへの熱い思いが伝えられる。中央入りした時点で、競走馬としての完成度が高かったことから、笠松時代の様子やレースぶりも手厚く放送され、番組全体の3分の1ほどになるという。人間以外に、競走馬のプロ意識がNHKの「プロフェッショナル」に取り上げられ、キャップが第1号となることには、笠松の関係者も光栄に感じることだろう。

 キャップの競走馬としての仕事の流儀とは何だったのか。番組とは別に笠松からのファン目線で見つめてみた。

 血統以外の面で、走りのキーワードになるのは芦毛対決、武者震い、低姿勢、GT連闘、ゴール板などだ。多くのファンが、最後まで諦めないで懸命に走る姿に「勇気をもらった」「感動した」と語っているように、ひたむきな走りは大きな共感を呼んだ。地方出身で都会に暮らす競馬ファンも、自分の境遇と重ね合わせて「頑張ろう」という気持ちにさせた。キャップは、どこか人間に近い存在で、他の日本の名馬たちよりも「強い精神力」を感じさせるものがあった。

 芦毛対決は笠松で始まった。デビュー戦でキャップが敗れた宿敵マーチトウショウとの「ワン、ツー」は計6度もあり、キャップの4勝だった。中央デビュー戦では、同世代を子ども扱いにした勝ちっぷりで、既に古馬のような風格があった。この頃は、ゲートインの際にブルブルッと首を振って武者震いをしていたのが印象的。地方出身の野武士が、中央のエリート馬を相手に闘志を高ぶらせて、剣豪のような勇ましさを漂わせていた。

写真:ラストランとなった1990年の有馬記念を制覇したオグリキャップの力強い走り

ラストランとなった1990年の有馬記念を制覇したオグリキャップの力強い走り

 頭のいい馬で「ゴールがよく分かっていた」と語っていた鷲見元調教師。笠松では、3コーナーへの下り坂辺りからが勝負どころ。キャップは、名手・安藤元騎手らのゴーサインに鋭く反応。頭を低くして地をはうように沈み込んだ「低姿勢」から筋肉を躍動させる独特のフォーム。4コーナーを回って先頭に立つと、若さから遊ぶようなところもあったが、騎手が気合を入れ直すとゴールに向かって一直線。ゴール板の位置は、鍛え上げられたしなやかな肉体が、「体感」として自然と覚え込んでいた。まさに「プロフェッショナル」といえるレース感覚だった。

 笠松仕込みのプロ意識は、中央でもパワー全開。89年秋の毎日王冠とマイルCSはハナ差で制覇。まさにゴール板の位置を知っていたといえる鮮やかな差し脚で根性を発揮した。マイルCS→ジャパンカップのGT連闘では「酷使しすぎだ」という批判の声もあったが、「キャップは本領を発揮してくれる」と信じていた。笠松時代、デビュー戦から2、3戦目は中1週だったし、10月の中京盃はJクラウンからほぼ連闘で圧勝していたからだ。結果は、芦毛のホーリックスに迫り、2400メートルを2分22秒2の世界レコードで、2着に食い込んだ。単複の「がんばれ馬券」で応援し、感動と絶叫のジャパンカップだった。

写真:1987年11月、笠松時代のオグリキャップ。中日スポーツ杯を圧勝し、喜びの(左から)小栗孝一さん、鷲見昌勇調教師ら

1987年11月、笠松時代のオグリキャップ。中日スポーツ杯を圧勝し、喜びの(左から)小栗孝一さん、鷲見昌勇調教師ら

 キャップは2010年に天国に旅立ち、小栗さんも一昨年に亡くなられた。鷲見元調教師は、母ホワイトナルビーの時代から、小栗さんとの名コンビでキャップを育て上げ、笠松時代の12戦で「ほぼ完成された馬」として、中央に送り込んだ。

 キャップが中央で重賞5連勝を飾っていた1988年8月。鷲見調教師は「最初に見た時、これはいける馬だとピーンときた。またがった感じが、他の馬とは全然違った。車でいえば外車かクラウンといったところ。全身バネで硬さがないんですよ。レースに出れば勝つこと以外知らん馬でした」と。「キャップを笠松だけで終わらせたくなかった」と愛馬を中央に手放した小栗さんは「今でも自分の子どものように思っている。誰が見ても日本一の馬ですよ」と活躍を喜んでいた。

 引退から26年。キャップの競走馬としてのプロ根性を生んだのは、「中央馬にも負けない馬をつくるんだ」という笠松の馬主、調教師、騎手たちの情熱だったのではないか。「地方馬の天下取り」という出世物語は、国民的アイドルホースとなる条件であり、今回「プロフェッショナル」に取り上げられたことは、最高の名馬の証しだ。キャップほど、ドラマチックな競走生活を送り、世代を超えて語り継がれるスターホースはもう出現しないだろう。

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筆者プロフィール

【ハヤヒデ】
80年代から笠松競馬を愛し、オグリキャップの走りに感動した競馬ファンの一人。岐阜新聞社に勤務。