オグリの里

オグリキャップと秋の天皇賞(下)(4強対決)

写真:現役時代のオグリキャップ。秋の天皇賞では2着が続いた

現役時代のオグリキャップ。秋の天皇賞では2着が続いた

 1989年10月29日、東京競馬場にいた。秋の天皇賞、オグリキャップが笠松から中央に移籍し初めてのライブ観戦となった。菊花賞馬スーパークリーク、春の天皇賞と宝塚記念を制したイナリワン、日本ダービー2着馬メジロアルダンとの4強対決と騒がれ、オグリキャップが1番人気になった。

 バブル景気の真っただ中。東京競馬場の入場門を入って驚いた。いま思い起こすと不思議な光景だった。当時はまだ中央競馬にも場立ちの予想屋が存在していた。出走表を掲示したボードの脇には、1万円札が1枚ずつ何と40枚ほど張られているではないか。

 しばらく立ち止まって聞いていると、どうやら午前のレースで予想が的中し、そのご祝儀があったようだ。例えば、枠連4倍の本命馬券を100万円購入したとして、当たれば400万円になる勘定。株や土地だけでなく、競馬も投資対象にしたような「バブル紳士」の札束が舞い、もうけの1割程度がご祝儀として振る舞われたのだろうか。

 第100回記念を迎えた天皇賞は距離2000メートルで、オグリキャップ陣営がもっとも勝ちたかったレース。パドック周回では気迫がみなぎり、2人引きでも抑え切れないほどの動き。仕上がりは最高の出来にあり、「オグリキャップ」の横断幕の数が一番多い。縫いぐるみ人気にも火が付いて、最前列には女性ファンが大勢詰め掛けていた。

写真:オグリキャップ(4)の追い上げをかわし、秋の天皇賞を制したスーパークリーク(14)。3着はメジロアルダン(5)=1989年10月30日付の岐阜新聞から

オグリキャップ(4)の追い上げをかわし、秋の天皇賞を制したスーパークリーク(14)。3着はメジロアルダン(5)=1989年10月30日付の岐阜新聞から

 さて、応援馬券を買わなくては。ネット投票もマークカードもない時代で、投票用紙に買い目と金額を手書きして、窓口のおばちゃんに手渡して買った。前走・毎日王冠ではイナリワンが強襲。「オグリは負けたかな」と思ったが、ハナ差で差し返していた。単勝の10万円勝負は140円の配当だったが運良くゲットでき、天皇賞でも大口勝負。オグリキャップだけが単枠指定で単勝1.9倍と抜けた存在。スーパークリークが4.5倍で続いた。

 レースを見ようとメインスタンドに向かったが、秋晴れの東京競馬場内は約15万人のファンで超満員。すさまじい熱気だった。既にスタンドへの出入り口も身動きできないほど、びっしりと埋まっていた。「ここまで来たからには、生で観戦しなくては」。コンクリート壁の上によじ登っているファンもいて、同じような位置から必死になって観戦。よく見ることができた。

 各馬がゲートインし、レジェンドテイオーが先行。南井克巳騎手が騎乗したオグリキャップは、中団7番手から4コーナーを回った。「末脚を爆発させてくれ」と願ったが、勝負どころで皐月賞馬ヤエノムテキが壁になって抜け出せない。一瞬、凍り付いた。「オグリよ、南井よ、どうしたんだ」。残り400メートルを過ぎて、馬体を大きく外へ持ち出したのが見えたが、一度スピードを緩めたロスは痛過ぎた。

 ゴール前200メートルから強烈な追い込みを見せ、スーパークリーク(武豊騎手)をクビ差まで追い詰めたが、届かなかった。脚を余してのゴールだった。スーパークリークは、オグリキャップとメジロアルダン(岡部幸雄騎手)を振り切って1着でゴール。イナリワンで春の天皇賞を制していた武豊騎手は、春秋連覇を達成。オグリを破って、ガッツポーズで喜びを爆発させた。

 負けてなお強し。オグリキャップの脚質からして、4コーナーから大外を選択していたら、間違いなく勝っていただろう。「前をカットされたのが痛かった。あれさえなければ」と悔しがった南井騎手だったが、その後のマイルCS優勝、ジャパンカップ2着と、ファンを感動させる連闘劇を演じてくれた。

 またも2着、オグリ敗戦にはぼうぜん。馬券的には単勝が外れ、枠連を少し押さえただけで完敗だったが、絶頂期にあった「生オグリ」を観戦できて本当に良かった。

写真:1990年の秋の天皇賞で、オグリキャップに騎乗した増沢末夫騎手

1990年の秋の天皇賞で、オグリキャップに騎乗した増沢末夫騎手

 90年秋の天皇賞はテレビ観戦。オグリキャップは脚部不安のため、ぶっつけ本番で挑み、増沢末夫騎手とのコンビになった。70年代競馬ブームの立役者となったハイセイコーに騎乗し、皐月賞と宝塚記念を勝ったベテラン騎手。3、4番手から4コーナーで先頭に立つ積極的なレースを展開。「良し、勝てる」と思った直後、オグリの末脚はなぜか鈍った。ヤエノムテキが勝ち、メジロアルダンが2着。オグリキャップは、初めて掲示板を外す6着に終わった。追い込み馬にとって、先行策は裏目に出たが、今から思えば、やはり増沢騎手は「ハイセイコーの増沢」だったのだろう。

 3度の天皇賞挑戦は実を結ばなかったが、「ただ強いとか、いっぱい勝った」といったことだけでない、競走馬の素晴らしさを存分に伝えてくれた。現役時代のオグリキャップを知らない20〜30代の競馬ファンも、胸がキュンとなり、鳥肌が立つような魂の走りをぜひ映像で見てほしい。

 中央時代のオグリキャップを育てた元調教師の瀬戸口勉さんが9日、急性白血病で亡くなられた。81歳だった。熱心な調教で黙々と馬と向き合い、温かいまなざしが印象的だった。有馬記念を2度制覇するなど、オグリキャップを名実ともに「日本一の競走馬」に導いた。「オグリキャップは、ゲートに入る前には武者震いをして気合を入れていたのだろう。ラストランを飾って、無事に引退させられて、うれしかった」と名馬との出会いを喜んでいた。数々の名勝負をありがとう。

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筆者プロフィール

【ハヤヒデ】
80年代から笠松競馬を愛し、オグリキャップの走りに感動した競馬ファンの一人。岐阜新聞社に勤務。