たい亭あたりの「おきらくご」

 落語が伝統芸能だの、古典芸能だのいわれて久しい。江戸の歴史がわかるとか、庶民の暮らしを垣間見ることができるとか、メディアではさまざまな角度から落語の魅力について語る。その中心となる古典落語は、百年を優に超える歴史の中で少しずつ推敲(すいこう)され、噺(はなし)が固まってきた。落語は師匠から弟子への伝承芸であるから今、寄席や落語会で演じられている噺は、江戸を舞台としているものは200年、明治・大正を舞台としているものは100年以上前のものもある。

 しかしながらどんなに昔の噺であろうと作者はいるわけで、その作者が作った時点ではそれは新作。そこから今に至るまで、時代の変遷に負けることなく消えずに続いてきた、つまり生き残ってきた噺であるからこそ古典と名を変えて今に存在している。必要とあらばその時代の聞き手に分かるように、合うように作り変え、登場人物や設定が変わったかもしれないが、幹がしっかりした素晴らしい出来栄えの噺で、長きにわたり観客を笑わせることができたからこそ、今ここに存在する。

 しかし、今も昔もその時代背景に基づき作られた新作というものがあり、そのいくつもの新作が世に出てそしてすぐに消えていく。そう考えてみれば新作派と呼ばれる落語家は、まさにその時代を形作っている落語界に取って重要な存在であるわけなのだが、残念ながら作って日の浅い新作を支持してくれる落語ファンの数は、古典に比べて著しく少ない。必然的に「新作派」と呼ばれる人たちの活躍の場は、主に大都市近郊に集中してしまう。そのほかの地方では、時代がまだその落語家に追い付いていないからである。

写真:新作派の苦悩

新作派の苦悩

 先日、ある新作落語だけをおやりになる落語家さんとお仕事をさせていただいた。長野の居酒屋で10年以上続いている、年に3回の会である。長野は関東圏だから江戸落語、それも古典落語を好む。2階広間には常連のお客さまばかり45人というこの状況で、その落語家さんは考え込む。

 普通、自作の落語が年齢層その他の理由で受け入れられそうにないと判断した場合、落語家さんは機転を利かして誰でも知っている古典落語に逃げる。逃げるという言い方が変ならば、その場で最良の結果が出せるようにシフトチェンジする。

 だが彼は新作しかやらない。こういう場面でも、絶対に古典には逃げない。でも、雰囲気が古典を欲しているのがわかる。自分には完璧なアウェーだ。そう思った彼はマクラを長めに、世間話を多くしてなごませて、その余韻を持たせて短めの新作を2本。その時点での彼の最良の選択であったように見えた。

 それでもお客さまの感想は二つに割れた。何を言っているのかわかない、何を言いたいのかもわからない。でも今まで聞いたことがないタイプの落語に遭遇した満足感がある。それがお客さまの反応。

 演じている間にも客の表情は、いやが応でも目に入ってくる。ウケなければ、一刻もはやく終わらせてしまいたい。そんな気持ちになるのが人の常であろうけれど、そこであえていつもより長くやったその落語家さんに、私は落語家としての意地を見た。

 落語家は、いつも絶えずお客さまの喜ぶものを与えようと最善を尽くす。だけど、やはりそこに絶対高い壁として存在する「新作」のハードル。それを乗り越えたほんの一握りの新作だけが、時を経て生き残り、古典になっていく。

 いつの時代もチャレンジする落語家がいるからこそ、落語は廃れることなく生き残っているのかも知れません。

 今回は、先日目の当たりにしたある日常の落語風景について書いてみました。次回はお約束通り、てんしき杯の話題に戻ります。

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