たい亭あたりの「おきらくご」

 終戦から72年たち、我々の暮らしは大きく変わったとたぶん皆さんが認識していることと思う。具体的に言うなら、交通手段も、通信手段も、食生活も、医療機器も、大きく進歩したのだ。

 実際、私の学生時代と比べても携帯電話やネットの発達で、例えば待ちぼうけを食らうこともなくなったし、待ち合わせ場所がわからなくても携帯が教えてくれる。

 駅でキップを買う必要もなくなったし、ほしいものはネットで注文すればすぐに自宅に届けてくれる。便利といえばこんなに便利な時代はないけれど、その中で落語という芸能にはその流れを妨げていると思われる考えが根強く残っていた。それが、いわゆる「本寸法至上主義」というものだったと私は思っている。

 落語は「口伝」といって師匠から弟子に口から口への伝達、つまり目の前で噺(はなし)をまるまる聞かせて覚えさせ、次に師匠の前で演じて許可が出た時点で高座でかけることを許される方式で長く続いてきた。俗に「三遍稽古」と呼ばれるものであるが、やがて時代の流れでカセットテープにとったり、師匠が演じているテープを聴いたりして何度も反復することが許されてくる。

 また、口伝の基本は師匠から弟子であるが師匠の許可さえあれば他の師匠に稽古をつけていただくことも許される。最近では真打になればお互いの持ちネタを交換することも許されるようになるなど、噺を伝える手段が多様化してきていることは間違いない。

 その意味でいうならば、落語が時代の移り変わりに合わせて変化し始めた時代は昭和50年代だったのではないだろうか。その最も顕著な例が落語協会分裂騒動(昭和53年)であり、今の2団体2派閥に分かれた状態に落ち着くまでには約5年を要した。しかし演じ手のほうが時代の波にのみこまれる形で変遷を遂げている中、皮肉なことに聴き手のほうは変化を求めず、師匠からほとんどそのままの形で受け継ぐことを美徳とするいわゆる「本寸法の芸」を良しとする傾向が続いた。

 実はこれは昭和の名人を崇拝してきたファン層がその芸を懐かしみ、「金馬の芸」「文楽の噺」「志ん生のたたずまい」を後の落語家に求めた結果なのだろうと思う。

 だが実はこの層の「変わろうとしない姿勢」が時代の流れに乗れずに落語がこの先、長く低迷した原因なのではないかと私は考えている。時代が移りゆくのならば、落語もそれに応じて変わって行かなければならない、そう感じていた落語家は確実に存在した。そしてその者たちが今、新たな落語時代を築こうとしている。

 そう、それが「落語を崩していく」世代の登場なのである。

  <つづく>

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