森山泰行の引退会見詳細
忙しさと種々の事情で更新をさぼってました。すみませんでした。
さて、15日のC大阪戦では、雨の中4000人を超える観衆の前で、無残にも相手のゴールショーが繰り広げられました。前節の1―7に続く大量失点を喫し、0―6。試合の詳報は17日付朝刊に掲載します。
ここでは、試合開始前の12時30分から約30分間開かれた森山泰行の引退会見の詳細を掲載します。紙面の都合もあり、会見のすべてが紹介できないのはもったいないと感じたためです。語尾など多少は手を加えましたが、ほとんど生でお届けします。意味が通じない部分もあるかと思いますが、人の話言葉なのでご了承ください。
▽今西和男GM
まず、これまでの経歴や経緯の説明がありました。
「普通だったらシーズン終了後に引退を発表するのかもしれませんが、自分がきっかけをつくったFC岐阜が、残念ながら思ったような観客動員ではない。発表することで少しでも動員につながればと言うので、クラブとしてはありがたく受け取り、発表の運びになった」
「彼の思いを受け止めてチーム一丸となって頑張りたい」
「できれば彼の考えている『子どもたちに夢を』のサッカー大使として、FC岐阜を代表する指導者という立場で子どもたちにサッカーを教えてもらえればなと思う」
「FC岐阜のために頑張ってくれた彼に心から感謝したい」などと話がありました。
▽森山泰行
「今シーズンをもって、選手をやめたいと思います。FC岐阜に来て4年目になりますが、地元で最後のキャリア終えるということは、幸せなことです。(今季の残り期間も)悔いのないように頑張っていきたい。〈ここから、注目度が低かったFC岐阜を取り上げたマスコミへの感謝を述べました〉J1年目で、乗り越えなければいけない壁があると思いますが、貢献していきたいのでお願いします」
〈ここからが一問一答です〉
▽引退の理由・時期は。
「引退決めた時期は、シーズンを始める前から今年一年だと決めていた。まだやれるというわずかなものはあったけど、往年のプレーより劣っているという自覚はあった。僕はゴール前で力を発揮する人間なんで、そのエリアではまだまだ技術的なところを発揮できると思うけど、サッカーはゴール前だけじゃないんで、それにこだわりすぎると、チームに迷惑が掛かる。この年代になって一生懸命頑張っている姿をみせたかったけど、若い選手をどんどんそういうとこで力を出してもらったほうがチームのためになるのでは。(自分の)欲望を満たす時期は終わったのではないかと、技術的、肉体的な部分ではそう思った」
▽岐阜に入って4年。できたこと。やりきれなかったことは。
「ほとんどの期間というのは選手に専念するのはできなかった。最初の3年間はいろんな形でグランパスや広島でやってきたプロ意識を持ってやることはできなかった。それを通すと、この地域でサッカーは根付かないということがあった。やり切れたということは、Jリーグに上げたってことは、ここでの仕事は満足できる。多少はズレますよね。プロの森山泰行と別でやらなければいけないことが多かったので。チームをつくるために動けたということだけですね」
▽引退後のビジョンは。
「子どもたちに夢を。すべてはそこからスタートしたチームなんで、入団した当初は、体を動かしながらその姿を見せれると思っていたけど、選手より指導者として子どもたちをサポートする立場になりたい」
▽残る今シーズンでやっていきたいこと。伝えたいことは。
「(残りの期間は短いので)そんなに極端に伝えるのはできないけど、4年間長くやっている選手や、一緒にやってきた人間はいる。伝統、スピリッツは伝えてきたつもり。最後まで選手として模範的な立場としてやり切りたい。練習でも手を抜かない姿勢を出していきたい」
▽FC岐阜で一番印象に残っている瞬間は。
「ことしはJ2に上がれたので、具体的な目標として監督が掲げる10位以内というのがあったけど、それ以前は、1番を取らなければいけないという壁があった。その年その年の昇格を決めた瞬間は、僕はすごい…今でも思い出すと感動していますし、一番の思い出になってます」
▽1番しんどかった部分は。
「正直は9割がしんどかった。今西さんがみえて、J2に昇格したというのは、電話でしか報告、聞かされなかったけど、やっぱり本当に来れたんだなというのはあったので、それまではいい思い出はあったけど、苦しいことの方が多かったです」
▽岐阜のサッカー全体で変化の実感は。(←よく聞き取れなかったけど、こういう内容だと思います)
「4年間やったことに関しては、チームとしてまだ畑を耕しているような状態。やっとJになって種まきできたかなという感じ。この間、練習に来ていたお母さんが、4年前に生まれた子どもが今は『サッカーをやりたい』と言っている。ありがとう、と言ってくれた。僕がお礼を言いたいぐらい。まだこれから長い歴史を歩まないといけないクラブですけど、変化は多少あった。まだまだ増え続けると信じています」
▽(コーチライセンス)S級を取って、やがてはFC岐阜がJ1で試合する指揮を執ってみたいというのはあるか。
「もちろんあるが、まだS級を持ってない。そういうのはS級を取ってからの発言です。選手の能力と指導者の能力は別の問題。いろいろ勉強しないといけないことはたくさんある。ライセンスは取りたい。取ってからのスタートです。縁の問題もありますし」
▽現役を通じた一番の思い出は。
「海外、スロベニアに行ったけど、そこが一番のスタートと思う。Jが始まった当初はJバブルでそんなにうまくない人でもスター扱いされて、それでいいのかということで海外に行った。そこで見たクラブ運営、お金ないチームでも何十年、何百年続いているクラブがあった。そういう経験が今のクラブにつながっていると思う。一番思い出深いのはゼロからスタートした後、最後のこの4年間は本当に、時間的にも地域に勉強させられたというのがあった。選手としての集大成はここにあった。選手と指導者と分けると(ここが)分岐点になるけど、この4年間は一番自分の勉強になった体験です」
▽2度目の引退は違いますか。
「慣れてるつもりだけど、なかなか思いを表現できないですね(笑)。3カ月残っているので実感はわかないし。今のところ試合に出てないんで、このまま終わると悔い残る。最後を飾るならこのホームグラウンドでゴール決めたい。でもこれは僕自身の問題で、チームの問題じゃない。勝手なことは言えない。一歩引いて3カ月を過ごすのではなく、真剣勝負で、実力勝負でもう少しやってみたい」
▽点取り屋として後輩に伝えたいことは。(←「日本代表を含め得点力不足と言われているが、森山はすばらしい決定力を誇っていた」という前置きがありました)
「(今のサッカー界でFWは)全体的にバランスの取れた選手が求められている部分がある。僕の場合は自分の長所を取った。だからこそ90分間使ってもらえなかったというのがありますし。勝負どころで100%を出せるからこそゴールも来た。そういった意味ではどっちがいいかは一概には言えないんで。(後輩たちに)『俺みたいになれ』とはいえない。でも、やはり自分のストロングポイントをはっきり理解できている選手はなかなかいない。それを自分で理解できたときに、ウイークポイントも見えてくる。そういう自己管理というか、自分で自分のプレーを知る感性のある選手が出てきてほしいと思う」(今西GMが大きくうなずいてました)
▽名古屋時代はインタビューでも達成感を聞けなかったが、FC岐阜では充実感のコメントがありましたね。
「選手として終わりが近づいていたので、そういう言葉が出たと思う。選手としていつも飢えていたので、前は。そんなにお腹いっぱいじゃないけど、この4年間は充実感、達成感を感じれた。お腹いっぱいになっちゃうと次がなくなる。常に今よりももっと前にという感じでやってきた。これからもそうやっていきたい。現状に満足せず、人として成長できればと思う。
〈一問一答は以上です〉
この後の囲み取材では
「この4年間で達成感を感じることができた」
「FC岐阜が9試合勝ってないし、(自分の引退発表を含め)何でも(集客、勝利)のきっかけにしたい」「県内の全小中学校を回りたい」
「仲間(選手)がFC岐阜に集まってきたのは、ありえないこと。そういった意味で可能性があると感じてやってきた」
「サポーターに恩返ししたつもりはない。もっと恩返ししたい」
「3年間、マックスのダッシュで突っ走ってきた。これからは踏ん張って、一歩ずつを固めていかないといけない」などと話していました。
以上です。

