2011年7月
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2011年7月


 西村 貞夫氏(にしむら・さだお=元関市立瀬尻小学校長)

28日午前2時、脳梗塞のため岐阜市の病院で死去、73歳。郡上市出身。自宅は関市津保川台2の16の3。通夜は29日午後6時30分から、葬儀・告別式は30日午前11時30分から、いずれも関市西本郷通5の1の11、市総合斎苑わかくさで。喪主は長男圭太(けいた)氏。



 林 春雄氏(はやし・はるお=元岐阜市議、岐阜市名誉市民)

27日午前11時3分、心筋梗塞のため、岐阜市の病院で死去した。88歳。岐阜市出身。
 自宅は岐阜市福光東1の13の14。通夜は28日午後6時から、葬儀・告別式は29日午後1時から、いずれも岐阜市雲竜町18の善照寺無量寿堂で。喪主は長男剛夫(たかお)氏。葬儀委員長は細江茂光市長が務める。
 1949(昭和24)年、市議補選で初当選。2007(平成19)年までの58年間で、議長を2回、各種委員会の委員長を歴任した。長期にわたって市政に携わり、市政発展と市民福祉向上に多大な功績を残したとして、79年に藍綬褒章、05年に旭日小綬章を受章。07年に名誉市民に選ばれた。



 鵜飼 修司氏(うかい・しゅうじ=元県立中濃西高校長)

27日午前0時25分、急性呼吸不全のため美濃市の病院で死去、74歳。美濃市出身。自宅は美濃市俵町2176の2。通夜は28日午後7時30分から、葬儀・告別式は29日午後1時から、いずれも美濃市1328の1、セレモニーホール美濃ルネスで。喪主は女婿渡邊康幸(わたなべ・やすゆき)氏。



 加藤 正春氏(かとう・まさはる=元県立岐阜西工業高校長)

24日午後5時21分、肺炎のため飛騨市の病院で死去、85歳。岐阜市出身。自宅は飛騨市神岡町船津1440の1。通夜は27日午後7時から、葬儀・告別式は28日午前10時から、いずれも飛騨市神岡町西94、大国寺で。喪主は女婿上休場孝幸(かみやすんば・たかゆき)氏。
 可児工業高校長も務めた。



 松野 文司氏(まつの・ぶんじ=旧本巣郡穂積町長)

25日午後10時21分、急性腎不全のため大垣市内の病院で死去、87歳。瑞穂市穂積出身。自宅は瑞穂市穂積241の1。通夜は27日午後7時から、葬儀・告別式は28日正午から、いずれも瑞穂市別府2310の1のセレモニーホール花穂苑で。喪主は次男修司(しゅうじ)氏。
 1990(平成2)年8月から94年8月までの1期4年、旧穂積町長を務めた。



 鈴木 英夫氏(すずき・ひでお=元中津川市立蛭川小学校長)

25日午前1時26分、悪性リンパ腫のため恵那市大井町2710の235の自宅で死去、74歳。恵那市出身。葬儀・告別式は26日午後1時から、恵那市東野2201の160のセレモニーホール阿木川湖で。喪主は女婿の小山智之(こやま・ともゆき)氏。



 伊藤 利夫氏(いとう・としお=「最後の早慶戦」出場、プロ野球近鉄パールズ創設メンバー)

20日午後2時、心不全のため岐阜市の病院で死去した。89歳。岐阜市出身。
 自宅は岐阜市御手洗390の7。通夜は22日午後7時から、葬儀・告別式は23日午前11時から、いずれも岐阜市上加納山4717の4の岐阜市斎苑で。喪主は長男彰(あきら)氏。
 1940(昭和15)年、岐阜中学(現岐阜高校)を卒業後、早稲田大学第2高等学院に入学。43年の出陣学徒壮行早慶戦では「8番・右翼手」で出場した。戦後、46、47年の全国都市対抗野球大会で大日本土木の連覇に貢献。50年の近鉄の球団創設に参加して2年間在籍し、さらに阪急で1年間プレーした。53年から岐阜高校で監督を務め、のちに巨人で名捕手として活躍した森昌彦(祇晶)氏らを率いて、54年夏と55年春の甲子園出場を果たした。



 玉田 みさをさん(たまだ・みさを=玉田和浩自民党県連副会長、県議の母)

12日死去、93歳。関市出身。自宅は岐阜市大洞1の16の18。通夜は13日午後7時から、葬儀・告別式は14日午後1時から岐阜市雲竜町18、善照寺で。喪主は長男和浩(かずひろ)氏。



 河村 成勝氏(かわむら・しげかつ=元県議会議長)

7日午前4時30分、糖尿病のため関市の病院で死去、87歳。関市出身。自宅は関市西門前町7。通夜は10日午後6時30分から、葬儀・告別式は11日午前11時30分から、いずれも関市西本郷通5の1の11、市総合斎苑わかくさで。喪主は長男充泰(みつやす)氏。
 関市議を経て、71年県議に初当選。5期20年務め、総務、企画経済、土木などの各委員長などを歴任。90年から1年間、議長を務めた。82年藍綬褒章、93年勲三等瑞宝章。


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