 |
|
岡本知彦(おかもと・ともひこ)さん 1960年生まれ。95年10月から社長 |
会長、岡本太右衛門の娘婿。日本ガイシを経て、1989年に入社した。知彦の実家も名門。名古屋の伊勢湾海運の創立にかかわった。父は、同社の会長を経て、現在は、名古屋港運協会や名古屋埠頭(ふとう)の会長などを務めている。
岡本の創業は永禄3年(1560年)。445年の歴史と伝統を誇る。入社した際、太右衛門から言われたことは2つ。「好きなことをやりなさい。青年会議所(JC)に入り、理事長をやりなさい」
好きなこと―。太右衛門流、人の育て方。「人を育てるためには無理強いをしてもしょうがない」。知彦は、ナベヤの営業を選んだ。
日本ガイシのサラリーマン時代、東京支店で産業用セラミックスの営業を担当。5年間で、お客が、より機能を高めるためにどういう新製品を要求しているか、リサーチの仕方を学んだ。
「営業は、売り上げを上げなければならないが、エンドユーザーに行って新たな用途開発をするのも仕事だった。用途開発、新事業のネタを拾ってくることを徹底的に植え付けられた」と。
岡本家に家訓はないが、言い伝えられていることが3つある。ボウリング場、ゴルフ場、飲食店など遊興ビジネスをやるな。政治に口を出すな。そして番頭制。番頭が番頭をつくる。今で言う社長の補佐役。
技術だけでなく、社風、家風までも引き継ぐ番頭。彼らは「私たちのビジネスのフィールドはこうです」と、知彦を社長に育てる。「うちの会長もそうだった。常に繰り返される。岡本家とはこういうもの」―。
岡本家に来て17年。「ようやく分かってきたことがある」と言う。それは「堅実と質実が家風だが、この家の伝統・文化と企業風土がいっしょになっている」ということ。「継続は力なり、継続が成長の原点というなら、堅実経営が一番の元」。この堅実的なものづくりに、いかに付加価値を高めていくか。
社長に就任したころは「決して軽い人間になりたくない」と思った。あれから10年。社長として経験を積んできた知彦は「重々しい人間にもなりたくない」と言う。「ここで、自分は謙虚にならなくてはいけない」と。「ともすると自分の言うことは通る。でも結果的に間違えることもある」。衆知を集めたい―。
知彦の言う「衆知」とはコミュニケーション。組織、権限を一方的に社員に行使することが良いとは必ずしも思っていないからだ。顧客第一主義だが、顧客と従業員ともども幸せになる会社にすることが大事だとも。
そして、従業員1人1人のやりがいと報酬が高まれば、それが会社の繁栄の源になるし、岡本家も存続し続けると信じる。
=記事中敬称略=
|