東日本大震災
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岐阜知っとる!? 県民の心の原点を探る

2007年 1月 3日(水)

隣はNAGOYA(2)

「輪中根性」エゴを超越

写真:「輪中根性」エゴを超越
お囲い堤によって水に苦しめられてきた輪中地帯では、輪中根性をはじめ堀田など独特の文化が生まれた。輪中根性は岐阜人の愛すべきアイデンティティー?(コラージュは安藤茂喜)

 「美濃の堤は、お囲い堤より低きこと三尺たるべし。文献が残っているわけではないが、尾張藩を守るお囲い堤よりも高い堤防はつくるなとのお達しが言い伝えられています。事実、お囲い堤ができてからは美濃側で洪水が急増したから間違いないでしょう」。こう話すのは、輪中研究家の伊藤安男花園大学名誉教授(77)=大垣市室村町=。

 お囲い堤とは江戸初期の1609年、尾張藩への浸水を防ぐため、現在の愛知県犬山市から弥富市付近までの木曽川沿いにつくられた堤防。徳川家の領地を守るため、美濃の人々は生命や財産を犠牲にしてきたことを意味する。そこでやむなく自衛策として考え出したのが輪中だとされる。

 名古屋へのあこがれの裏に隠れたコンプレックスや対抗心。岐阜の人々が抱く複雑な感情は、水に苦しめられてきた先人から引き継がれた遺伝子なのか。

 その感情がよく表れたエピソードがある。江戸から時は流れて昭和の時代。長良川河口堰(ぜき)=三重県桑名市=を建設し、愛知県内に導水するという計画が描かれた時には「今さら長良川の水がほしいなんて、名古屋の人間は都合がよすぎる」とささやき合ったという。「結果的に尾張に苦しめられた。そのことは現代人の意識にも根付いているんですね」と伊藤さんは分析する。

 岐阜の県民性として表現され、仲間内の結束は固いが排他的という「輪中根性」は、果てしない水との闘いの中で醸成されていった。1976(昭和51)年に安八郡安八町で長良川が決壊した「9・12豪雨災害」。決壊現場で水防活動をしていた男性(67)は振り返る。「うちのところで切れるな、よそで切れてくれとひたすら願っていた」

 輪中エゴともいわれ、とかく否定的にとらえられる輪中根性。しかし、岐阜市出身の作家、故小島信夫氏は小説「美濃」(平凡社)の中でこう記す。

 「あの村もこの村もこの天災をどう最少の被害でくいとめるかのために、血の出る思いで結論を下し、善処し、小をすてて大につき、ただ自分のためになればよいというのでなく、たとえ一時的に自分のためになったとしても、忽(たちま)ちどこかでその報いをうけるのだから、そんなノンキなことをいっていられるものではない」

 伊藤さんも「輪中根性は単なる地域エゴではなく、隣接輪中との均衡関係を巧みに維持する生活の知恵だ」という。

 当然ながら、お囲い堤は過去の話で「現在は左右の堤防に差をつけるようなことはない」と国土交通省はきっぱり。しかし、お囲い堤の結果として生まれ、現代まで息づく輪中根性は、岐阜人の愛すべきアイデンティティーだといえる。

(岡本周子)