安藤大尉遺書に無念 二・二六事件 − 岐阜新聞 Web
安藤大尉遺書に無念 二・二六事件
2017年02月24日08:38
写真:安藤大尉遺書に無念 二・二六事件
安藤輝三が死刑前日の夜に書いた長兄・栄一と次兄・徳一宛の遺書(「ふるさと瑞浪・伊藤律研究会」提供)

 岐阜県揖斐郡揖斐川町にゆかりがあり、1936年2月26日の「二・二六事件」に関わった陸軍青年将校の安藤輝三(てるぞう)大尉(05〜36年)が処刑される直前に実兄に宛てた未公開の遺書が、おいの安藤徳彰(のりあき)さん(71)=東京都=宅に保管されていることが分かった。クーデターの失敗を教訓として伝えたかったのか、「何事も十二分に、慎重戒心を絶対に必要とする事」と胸の内をさらけ出している。

 記録によると、輝三は揖斐川町出身の父・栄次郎の三男として出生。陸軍士官学校を経て士官候補生として入隊した歩兵第三連隊では、教官の秩父宮と親交を深めた。二・二六事件には、急進的な皇道派の首謀者として関わり、後の首相、鈴木貫太郎を襲撃。鎮圧後の軍法会議で死刑が決まり、36年7月12日に銃殺刑となった。輝三がクーデターへの参加を決意したのは、決起のわずか4日前だったとされている。

 保管されていた未公開の遺書は、死刑宣告直後の7月8日に書かれた次兄・徳一(徳彰さんの父)に宛てた1通と、執行前日の同11日夜に書かれた長兄・栄一、徳一の両兄に宛てた1通。

 8日の遺書では志が固く変わらないことを伝えていると思われる「金剛不壤身」の字を大きく記し「コレガ死ニ直面シテ私ノ強イ心境デス」と続けたが、11日の遺書には「…然(しか)し、何事も十二分に、慎重戒心を絶対に必要とする事を乍(ながら)生意気申し述べます」との文面が見られる。徳彰さんは「まだ時機が早かった、慎重にやればよかったという、後悔の気持ちがあったのではないか」と読み解く。

 遺書は26日午後1時から、中津川市かやの木町の中津川文化会館で開かれる歴史講演会「戦前戦後史人権フォーラム」の会場で展示される。死刑執行前日に書かれた掛け軸の書、輝三のメモ書きが見られる思想家・北一輝の著書「日本改造法案大綱」なども併せて展示する。講演会にはパネリストとして徳彰さんが登壇する。


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