岐阜城に新たな石垣 「石の城」信長が整備か − 岐阜新聞 Web
岐阜城に新たな石垣 「石の城」信長が整備か
2017年04月03日09:03
写真:岐阜城に新たな石垣 「石の城」信長が整備か
めい想の小径で、織田信長の在城時代に整備されたとみられる石垣(左)を確認する研究者たち=2日午後、岐阜市の金華山

 岐阜市の金華山にある岐阜城で2日、織田信長が在城時代(1567〜75年)に築いたとみられる石垣が新たに確認された。場所は「裏門」と呼ばれている地点。信長時代の城の領域は明確ではなかったが、北東側の一部が明らかになった。市は測量するなど詳細な調査に乗り出す方針。

 新たな石垣が確認されたのは、金華山北西側から山上へと続く登山道「めい想の小径(みち)」沿いで、「鼻高ハイキングコース」との合流地点付近。江戸時代に廃城後の岐阜城を描いた「稲葉城趾之図」に、「裏門」と記されている場所。平たん地を囲むように、切り立った岩盤の上に大きい物で直径1メートルほどの石が3、4段積まれているのが確認された。一部は崩れていた。

 日本城郭史が専門の中井均・滋賀県立大教授らが現地で確認した。中井教授は「大型の石を使っており、信長以降の物。信長は城郭の北側の外郭線として整備したのではないか」と指摘。「岐阜城は天然の要害といわれるが、信長は要所に石垣を整備し、安土城のような石の城を目指したことが分かる」と評価した。

 信長が手掛けた石垣は、天守下の東斜面、城の表側に当たる南方の一ノ門、二ノ門跡が知られているが、城郭の北側の実態はこれまで分かっていなかった。

 めい想の小径は、関ケ原合戦の前哨戦「岐阜城の戦い」(1600年)で東軍の池田輝政が城を攻める際に使用したルートとされる。日本城郭協会理事の加藤理文さんは「城の裏から入る道だが、巨石を配置していることから、重要な道だったのでは」と推測している。

 信長は、岐阜城で権威を示すかのように巨石を利用し、「見せる城」を目指したとの見方がある。岐阜市教育委員会社会教育課の内堀信雄課長は「今後測量を行う必要がある」と話した。

 現地調査は、山上の石垣整備を目指す「岐阜城山上石垣整備推進協議会」が主催した。