記念杯は美濃焼? 1940年「幻の東京五輪」 − 岐阜新聞 Web
記念杯は美濃焼? 1940年「幻の東京五輪」
2017年08月03日09:15
写真:記念杯は美濃焼? 1940年「幻の東京五輪」
多治見市市之倉町でつくられたとみられ、富山市で見つかった「幻の東京五輪」の記念杯の断片(富山市教育委員会提供)

 1940年に開催予定だったが日中戦争を受けて中止された「幻の東京五輪」の記念杯が、富山市の再開発用地の旧陶器商跡地から出土した。形状や成形技法から、美濃焼産地の岐阜県多治見市市之倉町で作られたとみられ、富山市教育委員会埋蔵文化財センター学芸員の鹿島昌也さん(45)は「アジア初のオリンピックに向け、地方にも期待感が広まっていたことが分かる貴重な資料」と話している。

 杯は断片13点で、「ORINPIKU」の文字や五輪のマーク、日章旗などが確認できる。富山市総曲輪の再開発用地で行われた発掘調査で、昭和前期まで陶器商があった跡地から見つかった。売薬の得意先への贈り物として用いられた可能性もあるという。

 多治見市市之倉町の陶芸家高木典利さん(68)は「当時作られていた最もポピュラーな形の杯。石こう型に模様を彫り込む技法や底部の仕上げ方などから、市之倉産に間違いない」と分析する。

 土岐市美濃陶磁歴史館学芸員の春日美海さんによると、多治見市小名田町の旧陶器商の帳簿に、37年にオリンピック記念の杯を東京に出荷した記録はあるが、製品を目にしたのは初めてという。「昭和初期の美濃焼流通の一端が明らかになる貴重な事例。五輪ブームをいち早く捉えて商品化したことが想像される」と話す。