八百津せんべいの老舗 手焼き70年の歴史に幕 − 岐阜新聞 Web
八百津せんべいの老舗 手焼き70年の歴史に幕
2017年12月22日08:59
写真:八百津せんべいの老舗 手焼き70年の歴史に幕
手焼き機械で焼き上げられる福盛堂製菓の八百津せんべい=21日午前10時33分、加茂郡八百津町、岩井光司さんの作業場

◆創業者の教え堅持「寂しいよ」

 岐阜県加茂郡八百津町の名物「八百津せんべい」の草創期に開業し、業界を引っ張った「福盛堂製菓」(佐合弘子社長)が、今月25日で製造を終了し、70年の歴史に幕を閉じる。昔ながらの手焼きを守り続けた職人の高齢化が理由で、町内からは廃業を惜しむ声が上がる。

 町内には戦前から小規模な製造業者はあったが、他地域で菓子作りを覚えて帰郷した人たちが戦後、相次いで起業したのが地場産業化の始まりとされる。

 福盛堂もその一つで、東京都内で10人ほどを雇うせんべい店を営んでいた佐合社長の父、故利之助さん=1984年死去=が47年、出身地の八百津町で創業した。

 素朴なお茶菓子として親しまれ、「作れば売れる」という時代が続いた。59年に協同組合が設立されると、利之助さんが初代理事長に就任。菓子博覧会への出品などで「八百津せんべい」の名を全国に広めた。

 生産拡大で同業者が効率の良い自動の機械に切り替える中、利之助さんは「絶対に使わん」と手焼きしか認めなかった。三宅和行営業部長(76)によれば、工程も「長く時間をかけたのではビスケットだ」と強火と2分半程度の短時間の仕上げを重んじたという。

 教えを守り、同社は手焼きを堅持。「六角」という六つの焼き面を回して順番に仕上げる機械を使う4軒で、1日5万枚「みの焼」を製造してもらってきた。とちの実せんべいの味をイメージして利之助さんが晩年に開発した看板商品だった。

 職人歴50年の岩井光司さん(74)は、夏は40度にもなるという作業場で、妻とえ子さんと1日1万4千枚を焼いてきた。「長くやったで、ほら寂しいよ」と打ち明けた。

 同社はピーク時に2億円の売り上げがあったが、駄菓子屋主体の販路がしぼみ、現在は半分以下。町全体の業者数も68年の167軒から27軒にまで減った。

 八百津煎餅(せんべい)協同組合の伊藤成治組合長(73)は「手焼きは香ばしく、誰もがおいしいという。こだわりの商品だったが、残念ながら焼く人がいない。廃業は町にとって痛手だ」と話した。