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新刊レビュー/2017年11月03日 07:02
『千の扉』柴崎友香著 団地、という深く暗い森
 

 幼い頃、団地に暮らしたことがある。母親が体調を崩し、子どものない叔父叔母夫婦の住む団地に、しばらく預けられていたのだ。

 70年代当時、その「ニュータウン」は「家族の里」であった。たくさんの同世代の子どもたちが、叔父叔母を慕って集まってくる。けれど私にとってあの場所は、どこか気を許せない「我が家」だった。だって外に遊びに出てしまったら、あまりにも同じ形の建物がありすぎて、見分けがつかないから戻ってこられない。叔父叔母は愉快な人たちだったけれど、でも幼心に「気を許しきっちゃいけない」「ここにいていいのかな」ってずっと思っていた。わいわいと遊び回る子どもたちの輪に、どうも入っていけずに、なるべく叔父叔母にしがみついていた。

 この物語の舞台も、そういった団地である。叔父叔母の住まいがそうであるように、物語に描かれる団地も、かつては子どものはしゃぎ声があふれていたけれど、やがて大人になった彼らは団地を離れ、今は高齢者の独居世帯が多くを占めている。

 主人公は、この団地に長く住んでいたけれど、大腿骨を骨折して一人住まいがままならなくなった老人の、孫の妻だ。彼女は老人から、ある人物を捜してほしいと頼まれる。同じ団地のどこかに住んでいる古い友人で、大切な箱を老人は彼に預けており、そしてその箱の中身を結婚祝いにやるから、誰にも言わずに頼む、引き受けてくれと耳うちされる。

 主人公も、人の輪に馴染んだり溶け込んだりすることが上手ではない。古くからこの団地に住まう人たちを、一歩外側から見ている。そして彼女の「人捜し」を通して、この団地を経由した様々な記憶や人生が泡のように浮かんでは消える。それらの記憶は世代も場所も超える。あの挿話で語られた人物が、ここに描かれている人物の親だったりその友だちだったりするから、読み手は気を抜けない。

 終盤は、それらの点と点が、線をなしていく。老人の「人捜し」の理由。主人公の夫が、彼女との結婚を決意した理由。ずっと謎だったけれど、「教えてください」とは終始言えなかった主人公に対して、謎の真相が明かされる。そこにあるのは爽快感でもカタルシスでもなく、ただ、そうだったのだ、という事実である。急展開を見せる終盤を経て、読み手は深く知る。

 人生は、そういうもので、できているのだ。

(中央公論新社 1600円+税)=小川志津子