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新刊レビュー/2017年11月03日 07:03
『森へ行きましょう』川上弘美著 人生は分岐点でできている
 

 この本をいったい、どう説明したらいいのか。描かれるのは主に、2人の女性の半生である。名を、「るつ」という。1人は漢字で「留津」であり、もう1人は片仮名で「ルツ」である。物語のすべり出しは、2人ともまるで同じだ。「雪子」という名の母親が、秋の盛りに、ワンピースの上から自分のお腹をなでている。このあと「留津」はかなりの難産で、「ルツ」は安産の末に生まれ出てくる。

 ここから「留津」と「ルツ」の折々の景色が、60歳になるまで同時進行、代わりばんこに語られていくのだ。

 出発点は、まるで同じ2人。けれど2人の人生はだんだん、というかどんどん離れていく。片方が身を浸している悩みとは、無関係な場所でもう片方は生きている。

 思春期がやってくる。わけもわからないまま恋愛もやってくる。若い恋に破れた「留津」が別の男との結婚を決める頃、「ルツ」は独り身の自由を手放す者の気が知れずにいる。「留津」が厄介な夫や姑との距離感を心得る頃、「ルツ」は家族のいる男にベタ惚れである。

 私たちがそうであるのと同じように、彼女たちの脳裏にも「もし自分の人生が今のようではなかったら」的な妄想がよぎる。その瞬間、彼女たちの人生がかすかに交差する。2人を取り巻く人たちも、同じ名前で、それぞれの法則とタイミングで彼女たちと出会い、何らかの関係を結んでは去っていく。

 この人生を、誰と生きるか。人生は、その一点において大きく変わる。結婚相手、友人や同僚、親やきょうだい。彼らのために(おかげで)大切なものを手放したり、しがみついていたものがどうでもよくなったり。人の人生は線ではなく、分岐点という名の点が連なってできている。こっちを選ばなきゃよかった、などと悔いる隙はない。次の瞬間から、訪れた現実と、うまくやっていくしかない。

 そう、この本が教えてくれるのは、なんだかんだ言っても人は「うまくやっていく」ものなのだということだ。理解し合えるなんて1ミリも思えなかった夫や姑と「距離を取る」ことを「留津」は学び、「ルツ」は50歳を目前にしてあんなに理解できなかった結婚を選ぶ。かといって彼女たちを待ち受けているのは「めでたしめでたし」では決してなく、ちらり、とニガい毒が潜んでいる、けれど彼女たちはそれを知る由もない。

 重ねてきた点描のひとつひとつを思い返すことは、大人にとっては困難だ。以前こうだったのだから次はこうしよう、的な対処療法だって必ずしもうまくはいかない。それでも人は、自分の人生と、うまくやっていく。大丈夫。大いに迷走しよう。道標なんてない、鬱蒼とした森の中を。

(日本経済新聞出版社 1700円+税)=小川志津子