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昨年末、相次ぐ派遣切りに労働団体などは「派遣労働者110番」を開設。突然の解雇で行き場をなくした派遣労働者からの電話が続いた=岐阜市西野町、県労連
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昨年暮れ、各務原市のアパートで上野和也さん(24)=仮名=は、暖房もつけずに毛布にくるまり、自動車部品の配線をつなぐ内職に精を出していた。数日がかりで500個作っても5000円の収入にしかならない。
宮崎県出身の上野さんが、職を求めて東海地方にやってきたのは昨年10月上旬。人材派遣会社に登録し、愛知県岡崎市の自動車関連会社に派遣された。2日働いたが、体調を崩して3日目に休んだ。その夜、派遣会社からの電話で工場にはもう行かなくていいと告げられた。次の派遣先として紹介されたのが、岐阜県内の自動車関連工場。人員に空きが出るまで待機するよう言われたが、各自動車メーカーでは減産が始まっていた。
仕事はなく、仕方なく内職を始め、貯蓄を切り崩した。それでも会社が借り上げたアパート代を支払わなければならず、生活は困窮。追い打ちをかけるように12月に入ると、派遣元から解雇予告通知もなく即日解雇を告げられ、アパートからもすぐに出るように言われた。「労働弱者は泣き寝入りするしかないのか」。悔しさが込み上げた。
労働基準監督署などを回り、たどり着いたのが県労働組合総連合(県労連)だった。支援を受けて派遣元に未払いの給与や待機賃金、解雇予告手当などを要求。請求額約50万円を勝ち取ることができた。住居付きの警備会社に正社員として就職も決まった。
しかし、上野さんのように闘う非正規労働者は少数派だ。県労連の平野竜也事務局長は「派遣切りに遭った非正規労働者の多くが、次の仕事を見つけて明日からの生活をつなぐことが先決で、不当な解雇があっても闘うことをあきらめている」と指摘する。
規制緩和が続けられてきた労働者派遣法の改正を訴え続けてきた連合岐阜も、相次ぐ派遣切りに「派遣を登録型ではなく、常用型にするなど規制を厳しくしなければ労働者を守れない」と危ぶむ。
上野さんは、個人加盟できる岐阜青年ユニオンの組合員となり、同じような派遣労働者を支えていきたいと考えている。「労働者は会社に貢献して働いている。だからこそ、泣き寝入りしてほしくない」
【労働者派遣法】1985年に制定。当初は専門的な知識を必要とする業務を適用対象としていた。2003年の改正で、自動車や電子機器など製造業への労働者派遣が解禁され、派遣受け入れ期間も1年から最大3年に延長された。
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