ふるさとへの便り

ガーナ

奴隷の歴史物語る 要塞に「帰らざる扉」
写真:ケープコースト城にある「ドア・オブ・ノー・リターン」と書かれた扉=ガーナ

ケープコースト城にある「ドア・オブ・ノー・リターン」と書かれた扉=ガーナ

 岐阜県の皆さん、こんにちは。季節はすっかり秋ですね。もっとも、ここガーナは年がら年中、真夏のような陽気ですが…。

 秋といえば、行楽の秋。ということで、今回はガーナ随一の観光スポットを紹介します。

 ここガーナは、黒人奴隷発祥の地として知られています。特にケープコースト城とエルミナ城という二つの城は、かつて黒人奴隷をアメリカやヨーロッパに送るために作られた要塞(ようさい)として有名です。

 ケープコースト城は、17世紀に木材や金などの貿易の拠点としてスウェーデン人によって建てられ、その後英国に占領されました。そして19世紀に入ると奴隷貿易が盛んになり、この城から奴隷が南北アメリカ大陸などに送られていました。ガーナは当時、金の採掘が盛んだったため「イギリス領ゴールドコースト」と呼ばれており、その際に奴隷労働者として現地の黒人を利用していたのです。

 各地方から奴隷として連行された者たちは、遠い道のりを、手錠をされ、鎖でつながれ、一列になって延々と歩かされて、この港町・ケープコーストにたどりつきました。そして光も風も全く無い、暗く狭い地下牢(ろう)に何日も監禁され、船の到着を待ちます。多くの奴隷がこの劣悪な環境に耐え切れず、病死したり、自ら命を絶つ者も少なくなかったようです。

 そして、要塞の最奥には一枚の扉。普段外を見ることさえかなわない奴隷たちは、ここに来て初めて光を見ることができます。しかし、「ドア・オブ・ノー・リターン(帰らざる扉)」と書かれたその扉をくぐったら最後、もう二度と彼らがガーナの地を踏むことはできなかったのです。

 同様に、エルミナ城もポルトガル人によって建てられた奴隷要塞です。ケープコースト城もエルミナ城も、「負の世界遺産」としてユネスコに登録されています。奴隷貿易は、ガーナだけではなくアフリカのほとんどの人々に関わる生々しい歴史の一ページです。一緒に見学していた世界各国の旅行者が一様に言葉を失うのを見て、それは今のアフリカを理解する上でも決して忘れてはいけない記憶なのだと実感しました。

【伊藤章裕さん】
写真:伊藤章裕さん
いとう・あきひろ システムエンジニアとして働いた後、2011年3月から2年間、青年海外協力隊としてガーナに派遣。ジュアベン高等学校でコンピューターの授業を担当。海津市出身。32歳。

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