ふるさとへの便り

シンガポール

世界有数の都市国家
写真:シンガポールの高層ビル群

シンガポールの高層ビル群

 現在、世界の注目を集めるアセアンの中心シンガポールが戦後、現在の安全で快適な経済大国を築き上げるまでの経緯を簡単に紹介します。

 イギリスの植民地だったシンガポールは第二次大戦に巻き込まれ、日本軍の侵攻、1942年2月のイギリス軍降伏により、「昭南島」として日本軍の統治下に置かれました。

 終戦によりイギリス統治が復活しましたが、シンガポールの人々には日本人にもイギリス人にも支配されない、また搾取されない自分たちの国を作る機運が向上し、59年にはイギリスから自治権を獲得し、63年にはマラヤ連邦などと合流し、晴れて「マレーシア連邦」を結成しました。

 しかし、ここで正念場が訪れます。マレーシア連邦によるマレー人優遇政策に華人が反発し、マレー人と華人の民族紛争が勃発する可能性が高くなったことなどから、65年のある日突然、華人が多く住むシンガポールが捨てられる形で、独立せざるを得ない状況となってしまいました。

 そこで登場したのが“建国の父”リー・クアン・ユー初代首相です。彼は資源も何もなく、国家存続の危機にあるシンガポールにおいて、国のロードマップを描き、40年以上にわたり国民を引っ張り、成長に導いてきました。

 彼の象徴的な施策としては以下の三つが挙げられます。@国民が英語・中国語(公用語のマンダリン)を読み書き話せるよう教育するA税制優遇により海外の優良企業を誘致して雇用を生み出すB法令による罰則を強め、クリーンで安全な街として、海外からの観光客を誘致する。これらの効果により、現在では世界の優良企業がアジアの拠点を構えるほか、近年では1人当たりGDP(国内総生産)で日本を追い抜き、また100万シンガポールj(約8000万円)以上の預金者が国民の13%以上という世界有数の都市国家に変貌しました。

 日本では、アジアの好景気の 恩恵でシンガポールが急激に裕福になったイメージを 持つ人が多いのですが、48年前から優秀な指導者の的確な方針の下で、国を 挙げてこつこつ努力してきた 成果により頭角を現してきたのであり、今後もシンガポールの動向から目が離せません。

【加藤英彦さん】
写真:加藤英彦さんさん
かとう ひでひこ 2004年4月JTBを退職し、経験者採用として岐阜県入庁。11年4月赴任。日本政府観光局(JNTO)シンガポール事務所次長として勤務(岐阜県から出向)。主な業務は、シンガポール、マレーシア、インドネシア及びインドから日本への観光客誘致。名古屋市出身。41歳。

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