ジャポネス・ガランチード 岐阜からブラジル移民100周年

(3)家族団結 夢つかむ

多治見から「自分の陶磁器工場」求め
写真:(3)家族団結 夢つかむ

小島康一さん(左から2人目)と家族。「ブラジルに来て良かった」と話した=ブラジル・サンパウロ州マウア市の自宅

 県内からブラジルに移住した人たちは、どんな人生を送ってきたのだろう。

 60年前の1953年5月17日付の岐阜タイムス(現在の岐阜新聞)にこんな記事がある。「県から戦後初めての大量ブラジル移民が27日神戸港出帆の大阪商船サントス丸で渡航する」。20人の移民団の名簿の中に「多治見市平野町、小島康一君(19)」という名前がある。「康一君」を追った。

 ブラジルで自分の陶磁器工場を持つ。多治見市で生まれ育った康一は大きな夢を抱いて海を渡った。

 多治見の陶磁器工場で働いていたとき、知人にブラジル移住に誘われた。戦後の日本にあまり希望は感じられなかった。何より若かった。東濃の陶磁器技術者、家族による移民団に加わった。

 ブラジルの日系陶磁器工場で働いた後、独立。サンパウロ州マウア市に6千平方メートルの土地を買った。59年、両親、きょうだい計5人を多治見から呼び寄せ、小島兄弟製陶会社を立ち上げた。康一が社長となり、自分たちで建物も煙突も建て、窯を造り、日本式の陶器を製造した。

 幸運が訪れた。60年代半ばからサンパウロで日本食レストランが増えだした。日本食ブームだ。受注はうなぎ上りに増えた。一時期はサンパウロのほぼ全ての日本食レストランで、小島一家の陶器が使われた。

 家族で力を合わせ、がむしゃらに働いた。マウア市内には父重男の名を冠した通りも生まれた。「陶器のコジマ」でサンパウロ州でも知られるようになった。

 康一の長女、道恵マルシア(47)はブラジルで生まれ育ち、今は岐阜市鷺山に住んでいる。89年、研修で県庁に来たときに出会った県職員池田宗生(45)と結婚。3人の子どもに恵まれ、長女は大学でポルトガル語を学んでいる。

 子どものころ、父はいつも働いていた。「プラス思考でエネルギーのある人」。仕事の邪魔をしてはいけないと、あまり話さなかった。でも、配達の合間に美術館や日本人画家の家に連れて行ってくれたことをよく覚えている。

 絵画や生け花が趣味の康一は今年4月、サンパウロ州の議員美術館で油絵の個展を開いた。会社で陶磁器を作り続けている。毎日忙しい。

 60年ずっとブラジルで陶器を焼いてきた。今でも窯から器を出すときは、自分の子どもを取り上げるような気持ちになる。60年は長く、でも仕事をしていてあっという間の日々だったという。康一は年齢を感じさせない張りのある声で話す。

 「ブラジルに来て良かった」

(敬称略)