ジャポネス・ガランチード 岐阜からブラジル移民100周年

第2部(1) マルセロ 歴史と重なる人生

日系3世、美濃加茂で育ち行政書士に 「人に恵まれる力」で道切り開く
写真:"「移住坂」を歩く渡辺マルセロ(左から2人目)と一家、岐阜の日系ブラジル人ら=4月下旬、兵庫県神戸市"

「移住坂」を歩く渡辺マルセロ(左から2人目)と一家、岐阜の日系ブラジル人ら=4月下旬、兵庫県神戸市

 今年、岐阜県からブラジルに移住が始まって100年を迎えた。遠いブラジルで人生を切り開いた日本人。その子孫たちが日本の労働力不足解消も狙った1990年の入管難民法改正をきっかけに、日本に帰ってきた。今、県内には約1万人の日系ブラジル人が暮らしている。

 その一人に渡辺マルセロという男性がいる。34歳。ブラジル・リオデジャネイロ出身、岐阜市在住。国籍、日本。彼の歩いてきた道は岐阜の日系ブラジル人の歴史と重なり合う。

 地球を半周してやってきた一人の青年を通して、日系ブラジル人と岐阜のストーリーを紹介していきたい。

 4月、マルセロは妻と2人の子ども、母親の家族3世代で神戸市の通称「移住坂」を歩いた。

 丘の上に建つ「海外移住と文化の交流センター」(旧・国立神戸移民収容所)から神戸港までの緩やかな坂道。ブラジル移民を扱った第1回芥川賞受賞作「蒼氓」(そうぼう)にも登場するこの坂を約25万人の移民が通り、神戸港から船で新天地へ旅立った。「おじいちゃん、おばあちゃんもここを通ったんだろう」。そう思うと少し感慨深かった。

 マルセロは日系ブラジル人3世だ。入管難民法改正直後の91年、家族と美濃加茂市に来た。美濃加茂東中学校、美濃加茂高校を経て岐阜大学に進学し、今は行政書士として独立。ソニー子会社の美濃加茂工場閉鎖に伴う県の協議会に参加したり、加茂警察署の協議会委員も務めている。

 日系ブラジル人の成功モデル。周囲からはそう見られている。ブラジルで生まれ、日本で育った最初の世代。何もないところをまずマルセロたちが歩き、多くの日系人の若者が続いて道になった。先駆者だ。

 でも、こんなことになるなんてマルセロは思っていなかった。日本に来たばかりのころは、3年でブラジルに帰るつもりだった。岐阜で人生を送ることになるなんて、想像もしていなかった。

 友達ができたのだ。恩師もできた。好きな人がそばにいてくれるようになって、そして家族が増えた。

 もし、日本からブラジルに移民が行かなかったら、両親が日本に来ると決めなかったら、会うべき人に出会っていなかったら、今のマルセロはこの惑星上のどこにもいなかった。

 誰の人生も時代の流れに左右される。ブラジルで生まれ、日本で育ったマルセロは特にそうだ。だが、本人は偶然の出会いや何気ない一言で人生が変わったと思っている。マルセロは自分自身のことを「人に恵まれる力がある」と思っている。

(敬称略)

(馬田泰州が担当します)