ジャポネス・ガランチード 岐阜からブラジル移民100周年

第2部 マルセロ(2) 「安心な国」に感動

来日直後、見知らぬ人の善意に触れ 
写真:"リオデジャネイロの小学校に通っていたころの渡辺マルセロ(中央)。フェスタ・ジュリーニャというブラジル伝統の祭りのため、田舎風に仮装している=1980年代半ば、ブラジル・リオデジャネイロ"

リオデジャネイロの小学校に通っていたころの渡辺マルセロ(中央)。フェスタ・ジュリーニャというブラジル伝統の祭りのため、田舎風に仮装している=1980年代半ば、ブラジル・リオデジャネイロ

 1991年9月、渡辺マルセロ(34)は古里のブラジル・リオデジャネイロの私立小学校から1万8千キロ離れた美濃加茂市の古井小学校に、いとこたちと転入した。本来なら中学1年生の年齢だが、日本語が分からなかったので小学6年生になった。古井小にとって初めてのブラジル人児童だった。

 岐阜の地方都市の小学校はカルチャーショックの連続だった。上靴はバレリーナの靴みたいで格好悪いと思った。給食は薄味でまずかった。初めて食べた赤飯は「ゴムみたい」。あんこはチョコレートの偽物みたいだった。掃除を自分たちでやることにも戸惑った。ブラジルの学校には清掃員がいる。加えて、マルセロは「普通だったよ」と言うが、ブラジルの自宅にはお手伝いさんがいた。

 日本語も不自由した。ジュンという日本人の同級生が昼休み、バスケに誘ってくれた。ジュンがシュートを打つたび、マルセロは隣から「ああ入らん」「絶対入らん」と繰り返した。突然、ジュンは怒り出してもう遊んでくれなくなった。なぜ怒ったのか、マルセロが理解したのはだいぶ後になる。「本当は惜しいって言いたかったんだよね。ジュン君の気持ち、今なら分かるよ」

 給食の味はすぐに慣れた。むしろ、はまった。小学校には給食と昼休みのために通った。今では赤飯は大好物だし、喫茶店のモーニングセットは小倉あんトーストを頼む。順応性の高さは子どものころから表れていた。

 来日直後、マルセロ少年に日本への圧倒的な信頼感を与える小さな事件が起きる。落とした財布が戻ってきたのだ。

 自転車の籠に入れていた財布が消えた。中には2万円も入っていた。古井小の前の公衆電話で赤いボタンを押したら警察につながった。たどたどしい日本語で訴えたらパトカーが迎えに来てくれた。諦めていたら、警察から連絡があった。落ちていた財布を誰かが拾って、警察に届けてくれた。

 一家全員が驚き、「さすが日本。治安がいいね」と感動した。見知らぬ誰かの善意が、遠い国からやってきたばかりの少年の心に、日本は安心できる国だと教えた。

 ただこのころは3年後にブラジルへ帰るつもりだった。「海外でホームステイするみたいな感じ。とにかくジャパンをエンジョイしようぜ、と思っていた」。日本語ができずテストが0点でもまったく気にしなかった。リオの小学校では飛び級をしたこともあった優等生。「帰って勉強すればいいから」と開き直っていた。

(敬称略)