ジャポネス・ガランチード 岐阜からブラジル移民100周年

第2部 マルセロ(3) 差別、偏見乗り越え

外国籍の生徒に情熱で向き合う恩師 
写真:"「外国籍の生徒と父に教えられた」と話す渡辺栄二=美濃加茂市本郷町、美濃加茂東中学校"

「外国籍の生徒と父に教えられた」と話す渡辺栄二=美濃加茂市本郷町、美濃加茂東中学校

 人生はときどき、会ったこともない人の一言で変わる。

 ブラジル出身の渡辺マルセロ(34)が、来日2年目の1992年に入学した美濃加茂東中学校(美濃加茂市本郷町)は、荒れていた。給食を配膳する前に廊下に置いておくと、授業に出ていない生徒らが勝手に持って行ってしまった。けんかも相次いだ。そんな中に、マルセロらブラジル人生徒は入ることになった。

 当時、男子生徒は坊主頭になる決まり。日本人ですら嫌がったルール。そんな習慣のないブラジル出身の生徒にはハードルが高かった。マルセロは嫌々受け入れた。いとこは拒んだ。先輩に目を付けられ、激しいけんかにもなった。いとこは中学をやめた。ブラジルに帰り、今は造園技師として成功している。

 1年の時の担任は渡辺栄二(58)だった。当時38歳。教師として脂の乗った時期で、外国人生徒の担当になった。トラブルは次々と起こった。帰宅後、父の清治に思わず漏らした。「突然やってきた外国の生徒のために、なんでこんな苦労をするんだろう。日本人の生徒にだって手いっぱいなのに」

 すると父は怒った。「何言っているんだ。明治以来、日本が貧困にあえいでいる中、多くの日本人を受け入れてくれたのはブラジルじゃないか。今はお返しをする時だと思うことはあっても、決してそんなことを言うもんじゃない」

 栄二はショックを受けたと振り返る。「同情を求めていたのに、反対のことを言われた」。でも気付く。ひょっとして、差別や偏見の気持ちは自分も含めた大人が子どもたちに植え付けているのではないか。自分が変わらないといけないんじゃないか。

 栄二は外国籍の生徒としっかり向き合うことに決めた。黒板の板書やテストの漢字には全て振り仮名を打った。同級生にもマルセロの勉強を手伝うよう求めた。日本語が読めず、やがてブラジルに帰るつもりで学習意欲の低かったマルセロだが、「面倒見のいい先生だなあ」と少しずつ勉強するようになった。これが高校、大学進学の礎となる。

 マルセロの人生を変える一言を発した清治は、その後もマルセロに会うことなく、2003年に74歳で亡くなった。

 栄二はこの春、美濃加茂東中学校に校長として戻った。「教育の使命は差別や偏見の心を乗り越えること」。自身の中にもある弱い心と闘うことの重要性を、マルセロら外国籍の生徒と父が教えてくれたと感謝している。

(敬称略)