ジャポネス・ガランチード 岐阜からブラジル移民100周年

第2部 マルセロ(6)行政書士で力発揮

「自分自身の言葉を話したい」一念発起 
写真:"行政書士として働く渡辺マルセロ。頼りにする日系ブラジル人は多い=美濃加茂市本郷町、マルセロ行政書士事務所"

行政書士として働く渡辺マルセロ。頼りにする日系ブラジル人は多い=美濃加茂市本郷町、マルセロ行政書士事務所

 1998年、日系ブラジル人の渡辺マルセロ(34)は岐阜大学に入学した。

 ひたすら自由だった。緊張が緩んだ。ビリヤードにのめり込んだ。ビリヤード場でバイトし、朝まで球を突き、授業で寝た。大学3年の夏に休学した。大学を辞め、ビリヤードで生きていくつもりになった。プロになるか、店を持つのもいいな、と考えた。

 周囲の日本人もブラジル人もみんなあきれた。鼻血が出るほど勉強して受かった大学を中退するなんて、どうかしてるぞ。当時から付き合い、その後結婚する大学の同級生の洋子(33)からは「将来どうするの?。このままじゃ駄目じゃない?」とよく言われた。

 ただ、この経験はマルセロが日本で生きていくために、必要だったのかもしれない。13歳で来日したマルセロは、日本社会のことをほとんど知らなかった。

 バイト先のビリヤード場にはいろんな客が来た。動物園の職員や自営業の社長、職人、サラリーマン。「社会とは」「人生とは」「仕事とは」と助言を受けた。

 マルセロは、ブラジルで生まれて日本で育った日系ブラジル人最初の世代だ。ビリヤード場に集う人たちは、誰も歩いたことのない人生を進む若者の教師になった。いろんな仕事や生き方があると知った。今度はやりたいことを探すために大学に戻ろうと決めた。1年半が過ぎていた。

 卒業後、マルセロは美濃加茂市役所で通訳として働く。窓口に来る外国人の話を訳し、文書を翻訳しているうちに欲が生まれる。

 通訳という仲介者ではなく、主体的に働きたい。いつも誰かの言葉を話すのではなく、自分自身の言葉を話したい。バリバリ働いて、仕事が終わったらみんなでビールを飲んでお互いをねぎらいたい。

 自分の力を試したくなったのだ。市内の木沢記念病院が通訳ではなく病院職員として働かないかと声を掛けてくれた。転職し、そこで行政書士の勉強を始めた。2年目で合格した。退職後の2009年、市内で「マルセロ行政書士事務所」を開いた。

 最初の仕事は、ブラジル人学校の各種学校申請手続きのサポートだった。相談員として手伝った同市定住外国人自立支援センターでは、リーマン・ショックの余波で「仕事がない」「アパート代が払えない」という相談を山ほど受けた。

 日系ブラジル人で、行政書士の資格を取得したのは恐らくマルセロが初めてだろう。今や日本人、ブラジル人、両者にとって欠かせない存在になった。こんな大人になるなんて、想像もしていなかった。時代がマルセロという人材を必要としたのだ。

(敬称略)