ジャポネス・ガランチード 岐阜からブラジル移民100周年

第3部(2) アラマキ家

ネットが家族結ぶ 病気治療、工場閉鎖…母と姉妹帰国

 家族が一緒に住める時間は意外と短い。就職や仕事、経済情勢の変化、進学。日系ブラジル人のアラマキ家も今、美濃加茂市とブラジル・サンパウロで別々に暮らす。1万8千キロの距離を乗り越え、インターネットで絆を再確認している。

写真:「自分の体の一部がまだ日本にいる感じ」と話す母マリア(左)。中央は妹のビクトリア、右はミカエラ=ブラジル・サンパウロ

「自分の体の一部がまだ日本にいる感じ」と話す母マリア(左)。中央は妹のビクトリア、右はミカエラ=ブラジル・サンパウロ

 岐阜でアラマキ家5人は普通に暮らしていた。2005年に来日。休日は美濃加茂市のマクドナルドでハンバーガーを食べ、土岐市のアウトレットで買い物を楽しんだ。夏は加茂郡八百津町の川で泳いだ。

 離れて暮らすことになったのは、長女のミカエラ(18)が腰の病気になったことがきっかけだった。母マリア(43)が8年働いてきたソニー子会社の美濃加茂工場の閉鎖も理由の一つになった。

 ブラジルで治療することを決め、次女ビクトリア(16)と3人で今年4月、ブラジルに帰国した。日本には父ヨシハル(51)と長男カイオ(19)が残った。ずっと一緒だった一家は、地球上で最も遠い2カ国に別れて暮らしている。

写真:美濃加茂市に残ったアラマキ・カイオさん。「離れていても家族は同じ」=美濃加茂市役所

美濃加茂市に残ったアラマキ・カイオさん。「離れていても家族は同じ」=美濃加茂市役所

 カイオは加茂高校定時制で学びながら美濃加茂市役所で臨時職員として働く。同校定時制ではサッカー部のキャプテン。

 離れて暮らすことになって、カイオは「最初の1カ月は泣いてしまったこともある」と漏らす。

 一家の絆を結び付けるのはインターネットだ。スマートフォン(多機能携帯電話)の無料テレビ通話アプリで週に2、3回は話す。その日の出来事、食べたもの。たわいない内容だからこそ、家族にとって意味がある。

 インターネットは物理的な距離を感じさせなくする。カイオは「離れていても家族は変わらない。まったく一緒。ただ遠いだけ」と強がる。

 だが、ネットでは届かないものもある。いつも食べていた母の手料理は食べられない。ブラジル風の豆の煮込み料理フェイジョンや肉料理。「今は父と外食ばかり」とカイオ。サンパウロにいる母のマリアは「自分の体の一部がまだ日本にあるみたい」と悲しむ。

 実はカイオは高校を卒業後の来年春、ブラジルに父と一緒に帰ることを計画している。「家族がそろっていたら、もっと日本に住みたかった」とも思う。

 だがブラジルの方がチャンスがあるように感じている。夢はイベントプロデューサー。人口1千万人のサンパウロを拠点にブラジル全土で仕事をしたい。「僕は日本人でもないし、マーケットの大きいブラジルの方がいい」。帰国後、大学に進学するつもりだ。

 家族で過ごす時間は短い。でも家族だからまた一緒に暮らせる。再会したらなんて言いたい? こう問われて全員が同じ答えをした。

 「会いたかった」

(敬称略)