写真:共同通信社編集委員・立花珠樹氏

三国連太郎さんとの思い出を語る立花珠樹氏=大垣市万石、大垣フォーラムホテル

◆テーマ「戦後日本映画の名優たち」

 岐阜新聞・岐阜放送西濃懇談会の5月例会は25日、大垣市万石の大垣フォーラムホテルで開かれた。共同通信社編集委員の立花珠樹氏(66)が「戦後日本映画の名優たち」と題して講演し、親交のあった三国連太郎さんについて「役になりきる名俳優だった」と思い出を語った。

 立花氏は1974年に入社。映画担当記者として、映画人へのインタビューや映画の楽しい見方を紹介するコラムなどを執筆し、本紙で「あのころ、映画があった〜必見の邦画名作選」を連載中。

 懇談会では、三国さんの俳優人生を中心に講演。51年の「善魔」でのデビューは、銀座でスカウトに声を掛けられ、そのまま撮影所で抜てき、劇中の役名をそのまま芸名とした。「戦後に映画は娯楽の王様として急激に発展し、映画会社は作り手とスター不足に陥っていた」と時代背景を解説した。

 「名俳優となる転機となった」として挙げた57年の「異母兄弟」では、三国さんは元陸軍軍人の老人を演じるために前歯を全部抜いてしまった。「体を張って役になりきるのが流儀。それまでいい人の役が多かったが、初めて悪人を演じて役者魂に火が付いた」と、65年の代表作「飢餓海峡」につながったと分析した。

 晩年にヒットした「釣りバカ日誌」シリーズでは、建設会社の社長「スーさん」を演じ「同じ役を続けると他の役ができなくなると悩んでいたが、プライベートでもスーさんと呼ばれて手を振るなど、役になりきっていた」と懐かしんだ。遺作となった2011年の「わが母の記」では、足だけが映る死者の役で登場し「存在感があり、最後まで役者人生を全うした」としのんだ。