写真:サッポロビール文化広報顧問・端田 晶氏

「日本のビールの大衆化に貢献した」と語る端田晶氏=多治見市白山町、オースタット国際ホテル多治見

◆テーマ「東洋のビール王・馬越恭平の破天荒な経営術」

 岐阜新聞・岐阜放送東濃懇談会7月例会は21日、多治見市白山町のオースタット国際ホテル多治見で開かれ、サッポロビール文化広報顧問でエビスビール記念館長の端田晶氏が「東洋のビール王・馬越恭平の破天荒な経営術」と題して講演。馬越氏(1844〜1933年)の明治から昭和にかけての生きざまを、ビール業界の合併やライバル会社のエピソードを交えて紹介し、「ビアホールなど新しいアイデアで経営し、ビールの大衆化に貢献した」と語った。

 馬越氏は三井物産から経営困難に陥っていたエビスビールの前身の日本麦酒へ派遣され、黒字化するなど経営を立て直した。当時高価だったビールを広く知ってもらうため、役者、芸者、医者、学者に絞って売り込んだ。花火大会で仕掛け花火で名前を覚えてもらうなどアイデアマンだった。「銀座の一等地に造った恵比寿ビアホールは人気を集め、ビールの大衆化に貢献した」と功績を紹介した。

 さらに「厳しい市場競争で経営危機にも直面した1906年にはサッポロビール前身の札幌麦酒、後のアサヒビールの大阪麦酒を合併し、大日本麦酒の社長に就任。市場占有率を7割以上に高め、日本のビール業界の礎をつくった」と語った。

 また「日本のためにと海外進出、国内調査、日本人技術者養成を掲げた。海外は44拠点となり、韓国や台湾、中国では、主力となっているビールの基を築き、アジアのビールも育てた」と述べた。