ぎふ財界をけん引してきた古今のリーダーたち

出会いとともに ぎふ財界人列伝

プロローグ

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「多種少量生産」で成長

 「小粒でもピカッと光る企業、トヨタグループに刺激を与えられる企業を目指す」―。力強いリーダーシップで岐阜車体工業をけん引してきた現会長の星野☆夫(てつお)は言う。「従業員1万人前後の規模が並ぶトヨタ自動車グループのボディー(車体)メーカーの中で、2000人足らずのわが社は一番小さい。だからこそ先を読みながら、できる限りのチャレンジを続ける。2番手、3番手では面白くないじゃないか」

写真:検査工程を進む岐阜車体工業主力のハイエース=各務原市鵜沼三ツ池町、同社本社工場(撮影・安藤茂喜)

検査工程を進む岐阜車体工業主力のハイエース=各務原市鵜沼三ツ池町、同社本社工場(撮影・安藤茂喜)

 各務原市のほぼ中央、13万平方メートルの敷地に広がる本社工場(同市鵜沼三ツ池町)には、大小7棟の工場建屋が連なる。県内唯一のトヨタ自動車直系の車体メーカー。その生い立ちから独自の存在感を示してきた。

 1940年10月、互いを全く知らなかった者同士、☆夫の父星野鍵太郎(かぎたろう)ら3人が思わぬ縁で結びついて設立。戦中戦後のトラック需要の波に乗り、成長の礎を築いた。社のターニングポイントには“人と人の出会い”が運命的に介在し、トヨタとの絆を強めながら70年余、年間売上高1000億円超、従業員約2000人の規模にまで成長してきた。

写真:創業者の一人、星野鍵太郎(会長時代)。初代社長を34年務めた

創業者の一人、星野鍵太郎(会長時代)。初代社長を34年務めた

 「トヨタが苦労しているときに一緒にやってくれた」(元トヨタ幹部)―。“世界のトヨタ”も成長期を歩んでいたころ、岐阜車体工業は協力工場としてスタート、重要な役割を担ってきた。現在はトヨタ車体(トヨタ自動車の100%出資子会社)の完全子会社として、その絆を確固たるものにしている。

 現在の主力製品は商用車、ワゴン車として根強い人気の「ハイエース」。その7割を占める「スーパーロング」の製造を一手に手掛ける。高規格救急車「ハイメディック」(トヨタ救急車)も製造し、トヨタブランドの一角を占める。

 カイゼン(改善)で知られるトヨタ生産方式を追究し、オールトヨタでトップクラスの品質を維持。独自の人事制度改革にも力を注ぐ。業界にこれといった手本のない中、年功序列型賃金で旧態依然とした「溜(た)め池人事」から、退職金制度をなくし、能力給を取り入れた「川の流れ人事」への転換を掲げ、大胆な変革を果たしてきた。

写真:北西から望む岐阜車体工業の本社工場全景。後方は木曽川と伊木山=2010年、各務原市(ともに同社提供)

北西から望む岐阜車体工業の本社工場全景。後方は木曽川と伊木山=2010年、各務原市(ともに同社提供)

 トラックのボディー製造に始まり、多種少量生産を強みに歩んできた岐阜車体。「自動車というと一般的には量産の一番代表的な業種と思われる。けれど岐阜車体さんは、それとは一線を画した魅力を持つ会社」。創立70周年記念誌で星野☆夫と対談したトヨタ名誉会長(当時会長)の張富士夫は、岐阜車体工業の姿をこう評した。

 「トヨタとともに歩んでくださる、実力のある協力会社があることが、本当にトヨタ全体の力になっている。岐阜車体さんも“多種少量生産”という分野で飛び抜けた力を発揮しておられる」

 消費者ニーズの多様化だけでなく、特殊車両など、もともと量は売れないながら必要とされる車は多い。その絶対的なニーズに応えられれば、社会に必要な企業として輝ける―というわけだ。張の言葉は岐阜車体工業のあゆみと重なる。(敬称略)

 ぎふ財界人列伝の第4弾は岐阜車体工業。県を代表するものづくり企業の一つが、いかに生まれ、成長してきたのか。その一端を紹介する。

(編集委員・加藤真人)

(注)☆は金ヘンに矢