ぎふ財界をけん引してきた古今のリーダーたち

出会いとともに ぎふ財界人列伝

第2のスタート(上)

(3)

不良品続出、経営火の車

 「順調に進んだように見えるけれど、資金繰りはずっと話にならんかった。まさに火の車状態だった」

写真:トヨタとの取引拡大に活躍したプレス機。岐阜車体工業はプレス部門を担ってきた星野鋼機と合併、吹上工場としてスチール化への体制を固めた=岐阜市、同工場

トヨタとの取引拡大に活躍したプレス機。岐阜車体工業はプレス部門を担ってきた星野鋼機と合併、吹上工場としてスチール化への体制を固めた=岐阜市、同工場

 岐阜車体工業の大番頭といわれた水野辰哉(たつや)。終戦翌年の1946年、22歳の時にグループ会社の星野商店に入社、経理を任され、岐阜車体でも経理部長などを経て常務、監査役を歴任した。経営トップの星野鍵太郎(かぎたろう)は、人を見抜いて良いと思えば全てを任せるタイプ。決済印まで任せていた。

 その大番頭が「火の車」と振り返るのは、星野商店の財務だけでなく、順風満帆の船出だった岐阜車体のことでもある。

×  ×

 岐阜車体工業は設立から5カ月ほどたった41年3月、岐阜市祈年町に本社工場が完成し、トラックボディーの一貫生産体制を確立した。月産30台が可能となり、41年は年間320台を生産。従業員は45人に倍増した。

 43年に同業の岐阜合同車体(岐阜市金園町=当時は同市二軒屋)を第2工場として吸収合併。県内唯一の車体メーカーとなり、軍用トラックボディーの県内への発注分を一手に手掛けた。

 だが、戦局が悪化する中、トラックボディーは鋼材不足が深刻さを増し、ほとんどが木製になっていった。そして45年に終戦。戦争末期の空襲のため、工場は休止状態になっていたが、従業員の生活の糧を確保するため、家具や建具といった生活に密着した木工製品を取り扱った時期もあった。

写真:1950年の朝鮮戦争特需でトヨタ自動車工業から大量受注したカーゴトラック

1950年の朝鮮戦争特需でトヨタ自動車工業から大量受注したカーゴトラック

 前後して各県の自動車配給会社からトラックボディーを少しずつ受注できるようになり、トヨタ系トラックボディーの生産を再開。歩みは鈍かったが、産業用トラックは戦後の復興には不可欠とあって大きな需要に恵まれた。

 48年、星野商店が新しいプレス機を導入し、鋼材、ボディー部品を岐阜車体に納入。49年にはトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)にプレス加工部品を納めるようになった。星野商店としてトヨタ自工との取引開始となった。

 大番頭・水野は振り返る。「鍵太郎社長は独特の商法を持ち、新しい分野を開拓したり、新しい人と取引を始めたりというのが得意だった。トヨタ自工へ行ってトラックのバッテリーハンガーとかラジエーターグリルとか、部品の注文を次々と取ってきた」

 一方で星野商店の台所事情は芳しくなかった。資金繰りに苦しみ、給料の遅配・欠配もあった。トヨタ自工と取引しながら、なぜか―。

写真:トヨタ産業技術記念館(名古屋市)に展示するため復元したトヨタ最初のトラックG1型(1935年発表)。岐阜車体工業はケヤキ製デッキ(荷台)の復元を担当し、設立当初から培ってきた木工・塗装技術を駆使した(いずれも岐阜車体工業提供)

トヨタ産業技術記念館(名古屋市)に展示するため復元したトヨタ最初のトラックG1型(1935年発表)。岐阜車体工業はケヤキ製デッキ(荷台)の復元を担当し、設立当初から培ってきた木工・塗装技術を駆使した(いずれも岐阜車体工業提供)

 水野によると、「当時の腕前では納入すると不良続出という始末。まるっきり、できなんだ」。まずプレス機で成型するが、部品同士組み合わせても合致せず、ハンマーでたたき直す修正の連続。「従業員の半分以上が修正に掛かり、売り上げはそれまでの4分の1。だから当然、赤字やわね」

 生産・売り上げ規模が小さい中でプレス機など設備の先行投資もあり、給与支払いが3カ月ほど滞ったこともあった。

 「若気の至りで『トヨタさんのこんなん、ちっとももうからへん』と言ったら鍵太郎社長が『他社はみんなやっとる。なんで星野商店だけできんのや。技術がそれだけ足りんのや。利益が出るよう一生懸命努力しなきゃしょうがない』と言われた。勘定を合わせるのには何年もかかった」

 星野商店は星野鋼機と商号を変更し、56年9月、岐阜車体工業と合併。岐阜車体はプレス部門を確保し、吹上工場としてスチール化への体制を確立した。

 しかし、苦しい資金繰りは合併後の岐阜車体でも続いた。50年の朝鮮戦争勃発でトヨタからトラックの大量発注を受け、特需に沸いたにもかかわらずだ。

 「当時のトヨタとうちの間には品質的に大きな隔たりがあって、手直しも相当あった。業績は上がっていくのに、お金がなかなかうまく回らない」。そんな中だ。現会長の☆夫(てつお)が岐阜車体第2のスタートと位置付ける、トヨタ自工との直接取引が始まった。

(敬称略)

(注)☆は金ヘンに矢