ぎふ財界をけん引してきた古今のリーダーたち

出会いとともに ぎふ財界人列伝

トップを選ぶ

(8)

現場のプロ、社長を歴任

 「経営トップの仕事は次のトップを選ぶこと。ベストチームをつくるためなら、人選は社内にこだわらず広く探せばいい」

 1998年、第4代社長に就任して10年目の春。星野☆夫(てつお)はトヨタ自動車の元町工場(愛知県豊田市)を訪れていた。後継の社長候補をスカウトするためだ。前のトヨタ社長の渡辺捷昭(かつあき)がこの時、工場長(常務)として仲立ちした。

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写真:高規格救急車の初代ハイメディック。1992年7月に生産開始。ハイエースロングをベースに車体を約10センチ拡幅、セルシオのV型8気筒4リットルエンジンを載せた

高規格救急車の初代ハイメディック。1992年7月に生産開始。ハイエースロングをベースに車体を約10センチ拡幅、セルシオのV型8気筒4リットルエンジンを載せた

 77年のダイナ全面改良で不良退治の試練を乗り越え、トヨタ生産方式の本格導入に乗り出した岐阜車体工業。トヨタの徹底した指導に応えるように、品質面でも80年に念願のトヨタ品質管理賞優良賞を獲得するなど、厳しさには定評のあるトヨタグループ内でトップ級の品質を誇っている。

 これを維持・向上させるのもトップの重要な役割。星野は強調する。「メーカーで現場を知らない社長は絶対だめ。誰でも苦しいと逃げ道を探す。ごまかしが生まれる余地がある。生産の現場もそう。そこをきちっと指示するには、現場を知らないとできない」

 では、なぜ社外からなのか―。「企業に重要なのはベストチームづくり。トップも社内に適任者がいればいいが、その時の状況によっては社外に求める」のが星野の考えだ。

 社長10年目だった星野は自分のポジションを変えて岐阜車体の将来を見つめる時が来た、と感じていた。さらにトヨタグループ内の生産車両再編で、トラックは日野自動車へ集約するとの方向性が示され、トラック主体のボディーメーカーから、新しい道へ踏み出さなければならなくなった。

 「その場合のベストチームを思い描いたとき、トヨタさんから後継者を頂こうと考えた」

 そうして迎えたのが、元町工場の工務部長だった栗田鬨雄(ときお)。実は同工場を訪ねたとき、次期社長候補に決めていながら星野が会うのは、この日が初めてだった。

 「これまでの取引などでトヨタの重役さんたちとは忌憚(きたん)のないお願いができる人間関係が築けていた」という星野。少しさかのぼったある日、まずトヨタの人事担当専務を訪ねていた。「生産技術出身で製造現場のプロ。そして部長クラスから、候補を3人挙げていただけないか」

 挙がった3人のうち2人は星野も知っていたが、1人は面識がなかった。そこで今度は生産担当の専務を訪ねた。「あなたが後継者を選ぶとすると、誰がいいか」。その答えが星野の知らない栗田だった。しかし、そこにも縁はあった。栗田の上司は、星野が30年来の付き合いという渡辺だったからだ。

写真:1997年発売のGIメガクルーザー。前年発売のメガクルーザーに、岐阜車体独自に手を加え2001年まで生産。販売数こそ少なかったが、岐阜車体の存在感を高めた(いずれも岐阜車体工業提供)

1997年発売のGIメガクルーザー。前年発売のメガクルーザーに、岐阜車体独自に手を加え2001年まで生産。販売数こそ少なかったが、岐阜車体の存在感を高めた(いずれも岐阜車体工業提供)

 突然の来訪に戸惑った栗田だが、「岐阜車体については社名を知っていた程度ながら、トヨタ社内での異動と同じように考えていた」という。「異動した後に『社長になれ』なんて想像もしていなかったから」。参与として入社した栗田は、副社長を経て2001年、第5代社長に就任した。

 続く第6代の中谷克彦(07年就任)、第7代の現職山田博文(10年就任)もトヨタやトヨタ車体の生産技術出身で生産を担ってきた“現場のプロ”。「だから任せられた」という星野。そろって面識のなかった人物だが、日頃から関係者とのパイプを太く保ち、トップ選び、後継者との出会いを自ら仕掛けてきた成果といえる。

 トップの仕事でもう一つ、星野が重視すること。それは相談できる人物を社外に持つこと。社内からとは違った見方ができるからだ。星野にとって元トヨタ副社長で岐阜車体の非常勤監査役を務めた楠兼敬(くすのきかねよし)は「親代わりとして相談できる人」。トヨタ前社長の渡辺も岐阜車体の生産現場を半年に1回はチェックしてもらうなど絆をつないでいる。

◇特装車に挑む

 星野☆夫が社長の時代、初参加となった1991年の東京モーターショーに、トヨタと共同開発した「ハイエース・リモ」や高規格のトヨタ救急車などの特装車を出展した。リモはハイエースを拡幅して高級乗用車セルシオのエンジンを載せ、豪華な装備で“走る社長室”と話題になった。

 星野の遊び心から生まれたとも言えるが、高規格救急車はリモをベースに誕生。「ハイメディック」として医療現場で活躍することになった。現在は3代目を生産。

 93年のショーにもトヨタ、日野自動車と共同開発した多目的車「メガクルーザー」を出品した。陸上自衛隊向けの高機動車の民生バージョン。RVブームの中、注目を集めた。

(敬称略)

(注)☆は金ヘンに矢