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日本のトップレスラーとして活躍し続ける棚橋弘至さんは、1999年に新日本プロレスからデビュー。

しかし、当時のプロレス界は人気低迷期にありました。

そんな不遇の時代を乗り越えて新たなプロレスラー像を打ち立て、女性など新たなファン層を開拓した立役者の1人が棚橋さんです。

明るくスタイリッシュで華麗なプロレスラーとして躍動する棚橋さんですが、苦労をものともせず、努力し続けられるのはどうしてなのか。

棚橋さんの高校や大学時代などを振り返りながら、その秘訣を紹介します。

スタイリッシュで華麗なスタイル、新たなプロレスラー像を打ち立てた立役者!

©新日本プロレス

情熱を注ぐ対象が野球から勉強に、そして、プロレスとの出会い。

ー高校時代はどんな学生でしたか?

 高校は地元大垣市の大垣西高校へ進学したのですが、まさかの成績1番での入学となり、入学式で挨拶文を読むことになりました。高校では野球部に所属していて、小さいころからの夢だったプロ野球選手を目指して、部活を必死に頑張っていましたね。おかげで入学時は1番だった成績が、テストで赤点を取らないくらいまで下がりました。

 普通の公立高校で野球が特別強い学校ではなくても、一生懸命頑張っていたらプロ野球選手になれるかもしれないと思っていましたが、結局チームでの自分は「7番レフト」で目立つ選手じゃなかったです。高校最後となる夏の県大会は、2回戦で大垣日大高と対戦し、7対0で大量リードしていて、もう少しでコールド勝ちというところでまさかの逆転負け。高校での野球部の活動が終わってしまいました。

 当時のチームの2番手投手が自分で、変化球主体のサイドスローでした。でも、力のあったエース投手とはだいぶ実力差があって、ほとんど自分が投げることはなかった。そんな高校時代のエース投手への憧れがあって、プロレスラーになってから自分のことを自分で「エース」と呼ぶようになったんです。

 プロ野球選手への夢が破れ、今度はプレーする側から伝える側になろうと思い、新聞記者を目指すことにしました。情熱を注ぐ対象が野球から勉強に変わりました。8月は偏差値が50くらいでしたが、1日12時間ほど勉強するよう になったおかげで、偏差値65の立命 館大学法学部に合格できました。


ープロレスに興味を持つようになったきっかけは?

 高校2年の終わり頃に、2つ年下の弟が深夜にテレビを見ていて、それがプロレスだったんです。一緒に見ているうちに、自分の方がプロレス好きになっていました。当時の新日本プロレス界は、闘魂三銃士と呼ばれていた蝶野正洋さん、橋本真也さん、武藤敬司さんらが活躍していて、バックドロップなどの派手なプロレス技やそれを受けて平然と立ち上がってくるレスラーの想像を超える姿に鳥肌が立ち、魅了されていました。その時の自分はやせマッチョで体重が軽かったこともあり、自分がプロレスラーになろうとは思いませんでした。ただプロレスが好きなだけでしたね。

追い込まれて力を発揮するタイプ。大学を卒業後、新日本プロレスに入門!

ープロレスラーになることを真剣に考え始めるようになった経緯を教えてください。

 大学では高校ではないようなさまざまな部活動やサークルが勧誘活動をしていました。その中で一番目立っていたのがプロレス同好会。自分はプロレスが好きだったので、ちょっと話を聞いてみようと思ったんです。「プロレス同好会に入ったらプロレスラーになれますか」と聞いたら、「なれる」と言われたので入会することにしました。実際はプロレス同好会からプロレスラーになった人はいなくて、自分が初めて同会出身のプロレスラーになりました。もしこの時にプロレス同好会の人と話をしていなければ、部活ではなくてサークルで野球をするか、そういうサークルがあるのならば、興味のあったトライアスロンをしようかと思っていました。

 プロレス同好会が実際に人前でプロレスをするのは年に3、4回くらい。活動の大半がプロレスの話をしたり、試合観戦に行ったりという状態でした。そんな中、自分はトレーニング部長として体を鍛えることに力を入れていて、ジムやランニングコースで黙々と汗を流していました。筋トレは、トレーニング関連の本やボディビル専門誌などを読んで、独学で行いました。その他にも1食300円程度ですむ学食を毎回1000円分食べていたので、仕送りやバイト代はほぼ食費に費やされました。おかげで入学時は65キロしかなかった体重が2年生の時には80キロとなり、卒業時には90キロまで増量。プロレスラーと同じくらいの体の大きさになったことで「自分もプロレスラーになれるかもしれない」との自信を持てるようになりました。

 自分にとって幸運だったのが、立命館大学の系列校でレスリングの強豪校である立命館宇治高校のレスリング部OBたちが、大学でレスリング同好会を立ち上げた時期と自分の在学時が重なったことでした。その活動に自分も参加させてもらい、レスリングの技術や実戦経験を磨きました。寄せ集め集団でしたが、自分が4年生になった年に関西リーグ一部に昇格するほど力をつけていましたね。

 プロレスラーになるための基礎体力がついたと思い、新日本プロレスの入門試験を受けるようになって、大学3年の時に合格できました。大学を中退して1日でも早くプロレスラーになりたかったのですが、プロレス界の大先輩である長州力さんから「プロレスは何が起きるか分からない不安定な世界だから大学を卒業してからこい」と言われました。

 その時は大学の単位がかなり残っていて、1年に履修できる単位が60までなのに58も取得しなければいけないという状態。それでも、自分は追い込まれて力を発揮するタイプです。必死になって勉強をしてしっかり単位を取得し、無事に大学を卒業して新日本プロレスに入門することになりました。

プロレスの人気を高めることを常に考え、イメージを変えることで女性ファンを獲得!

ープロレスラーになってからの苦労や心掛けていることについては?

 実際のところ、プロレスラーになってからが大変でした。入門時は普段のスパーリングでぼこぼこにされ、プロレスラーの強さというものをみせつけられました。入門当初は闘魂三銃士の活躍もあってプロレス界に活気がありましたが、プロレスの地上波の放送が深夜に移動したり、その他の格闘技などに世間の注目が集まるようになったりで、人気が低迷していました。

 どうやってプロレスの人気を高めるべきかといろいろ考え、まず思ったのがプロレスは怖いというイメージをなくすこと。自分のようなこれまでのプロレス界にはいない、変わったレスラーもいることを伝えようと思いました。プロレスを全く見たことのない人にも興味を持ってもらえるように、雑誌やラジオなどに出演しても「プロレスを見てください」ではなく、まずは自分自身について紹介することを心掛けました。おかげで女性の観客が増えて会場の雰囲気も華やかになり、家族連れも増え、「女性客が多いなら」という理由でプロレスを観戦するようになった男性客も増えた気がします。


ープロレスの魅力とは。どういったところにファンは惹かれるのでしょうか?

 プロレスは勝敗を競い合うだけでなく、人生そのものを見せています。レスラーの敗北や浮き沈みを見せながら「負けても次があるかもしれない」という可能性を示している。そんなプロレスラーの姿に、多くの人たちが自分の日常生活をあてはめ、惹かれているのだと思います。

目の前のことに全力で取り組み、誰かのために頑張ることで力を発揮できる!

©新日本プロレス

ーここまで頑張り続けることができた秘訣は?

 つらいことであっても、物事を楽しめる能力が自分にはあるのかなと思います。自分よりも体力的に優れているレスラーはたくさんいますが、物事を楽しむ力では自分は負けていない。試合は緊張するけどやっぱり楽しいし、膝のじん帯を8本中4本も切ってしまって痛みを感じることもありますが、それを補って余りあるファンからの声援や、チャンピオンベルトをまくことができた充実感などのおかげで頑張れています。


ー最後に岐阜県の高校生たちにメッセージをお願いします。

 自分は今まで、目の前のやるべきことを全力で行ってきました。それが自分の財産になっています。今やっていることは、全部無駄になりません。何かに一生懸命であることが、将来役立ちます。

 自分は何かに向かって頑張るときに、自分のためだけでなく、誰かのために頑張ることを大事にしています。大学受験の時は、自分が志望校に合格すれば家族が喜んでくれるというように。誰かのために頑張ることでより力が出てきます。そういう思いを持って頑張ってほしいです。