時代に合わせて変化し続けたいと語る大坪和己さん(右)と杜氏の板垣忠治さん=飛騨市神岡町朝浦、大坪酒造店

 岐阜のタカラ、それは「変わらないところ」という。そして、100年後の岐阜県民へ「変わらないでほしい」と願う。はて? 太古より生物は環境の変化に対応しながら進化してきたはず。変わらないことはタカラなのだろうか。連載最終回にして、かなりの難問。見なかったことにしたいが、そうはいかない。一つの解を探りたい。

 豊かな水によって育まれた岐阜県。生命に欠かせない水は、鮎をはじめとする川魚や飛騨牛、柿や栗といった食材を生み、暮らしを豊かにした。観光客が集まる高山や下呂温泉も、水の恵み。高山は川に挟まれた水が豊かな場所に城下町が築かれ、今の古い町並みにつながっている。

 県ゆかりの歴史家、加来耕三さん=東京都=。戦国時代に詳しい歴史のご意見番は、外から見た岐阜県の印象をこう語る。「今も織田信長や関ケ原合戦が話題になり、長良川の鵜飼も続いている。昔を大事にしているというか、全く変わっていない。なんとかしなければとアタフタしている人を見たこともない。とにかく静か。古き良き時代をとどめている」

 でも、本当に変わっていないのだろうか。昔のままなら、いまだに武士が歩いていなければならない。伝統を受け継ぐ人たちはどう考えているのだろう。

 豊富な水を使い、古くから日本酒造りが盛んに行われてきた岐阜県。例えば、飛騨市神岡町。鉱山で栄えたこのまちに県最北の造り酒屋がある。1842(天保13)年創業の大坪酒造店だ。大坪和己社長(71)は横浜市出身で、婿養子でここに来た。「日本酒離れが進んでいる」と悩む大坪さん。なら、日本酒以外の酒を造っては?と聞くと「いや、日本酒一本で行く」と断言する。

 理由は「僕がここに来る時、これで神岡の造り酒屋の灯が消えない、と町中が応援してくれた」から。でも時代は変わる。ずっと昔のままでは…。すると、意外な言葉が。「日本酒造りは変えていないが、実は変わっている。昔は濃い味が好まれた。ところが、だんだんとクドいと言われるようになったので、軽くしていった」

 味を変えた-と聞くと印象が悪いが、今の人たちの好みに合わせて微調整。それは思うがままに変えるのではなく、時代に合わせて変わる、対応することという。「飲まれないことは、(会社が)つぶれることを意味する。時代に合う味を追求するのは、どこの造り酒屋も同じでは。岐阜県に伝統的なものが変わらず多く根付いているのは、その小さな変化に対応し続けてきた結果だと思う」。大坪さんはそう考える。

町家再生、水路のまち守る

 郡上市八幡町でも同様の話を聞いた。郡上八幡産業振興公社のプロジェクトチーム「空き家対策 チームまちや」。水路のまち郡上八幡に残る伝統的な町家を再生し、移住者らに提供している。スタッフ募集のウェブサイトで「400年以上の歴史ある城下町が変わらずに、変わり続けるために」と呼び掛けた。

 チーム代表の武藤隆晴さん(67)はこう話す。「まちは人が暮らしたり交流したりして、生きている。昔の町家といっても、まちは博物館ではない。くみ取り式のトイレでは住んでくれない。郡上八幡らしさは大切に守っていく一方で、時代に合わせてリフォームなどでアップデートしていかないと、人が住まず、まち自体が残らない」

 変えないために変わっていく-。これがタカラとする意味なのだろう。

 豊かな水が育んだ岐阜のタカラ。そこにつながる自然、産業、歴史、交通、人という“水脈”を、時代に合わせて大切に受け継いでいくことが、今あるタカラを守り、新たなタカラを生み出す力になるはずだ。