手前に露出して点在する礎石はじめ居館跡が発見された小鷹利城本丸跡。戦国初期の山城の概念を変えた=飛騨市河合町稲越

 山城は戦時施設、住居化したのは戦国末期という戦国史の常識を覆す大発見の舞台となった飛騨市河合町稲越の小鷹利(こたかり)城。戦国初期(16世紀初頭)と推定される山城の主郭(しゅかく)部分に、屋敷跡の礎石(柱を支える石)が見つかった。

 2019年、市の調査で現れた礎石は、3間(5・4メートル)×8間(14・4メートル)。さらにL字形状に2間(3・6メートル)×5間(9メートル)が連なる曲屋(まがりや)構造。突き出した部分は厩(うまや)と見られ、飛騨と同じく雪深い東北地方の居館で見られる構造という。戦国中期までの山城は戦があった時に立てこもる防御施設で、普段の居住は平地というのが常識だった。山の上の小鷹利城に、人が住む居館があったことは衝撃の事実だ。

 小鷹利城に関する文献史料はないが、居住者は飛騨国司家・姉小路(あねがこうじ)氏の向(むかい)家(別名・小鷹利氏)と考えられている。姉小路氏は史料に初めて飛騨国司として登場する家綱の以降、小島、古川、向の3家に分流したとされる。

 小鷹利城は極めて優れた防御性を備える。居館跡の本丸北西部分には、長さ約20メートルの畝状空堀群(うねじょうからぼりぐん)が十数本連なっている。向いている方向が白川郷から富山県方面なのは、古川家の名跡を継いで飛騨を統一した三木(みつき)氏が、北から攻めてくる金森氏に備えて建設したからとみられる。飛騨市内の山城の畝状空堀群の中では規模、数ともに最大。

 さらに五つの登城道に空堀を設け、山頂から一目瞭然で討ち取れる。虎口(こぐち)(城の入り口)には直角に曲がらないとたどり着けず、仮に近づかれても本丸からの攻撃は容易。地形を最大限に活用している。

 飛騨市は、姉小路氏の五つの山城を群として国史跡指定に向けて調査し、結果を年度内にまとめる計画。山城群は姉小路から三木、金森へと変遷する戦国飛騨史を解明する貴重な生きた史料。中でも小鷹利城は新発見や魅力にあふれた必見の山城だ。