金華山中腹の石垣群、江戸期の絵図にも

2018年05月24日 07:43

  • 石垣群に類似する石垣(中央)が描かれている「稲葉城趾之図」(伊奈波神社所蔵)。上は天守 
  • 今回発見された石垣=今月20日、岐阜市、金華山 

 岐阜市の金華山中腹で新たに発見された岐阜城の石垣群に関し、江戸時代に描かれた岐阜城跡の見取り絵図「稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)」に、この石垣や建物跡とみられる絵が描かれていたことが23日、市教育委員会への取材で分かった。少なくとも約300年前にはこの石垣の存在が知られていたことになり、戦国武将織田信長の嫡男信忠の建物が建てられていたとする説の補強材料にもなりそうだ。市教委は「石垣の記録はないと思っていたが、あった。今後昔の文献や絵図を再検証していきたい」としている。

 絵図は廃城から約100年後の17世紀後半から18世紀前半に描かれたとされ、伊奈波神社(同市伊奈波通)が所蔵する。大きさは縦98・6センチ、横87・7センチ。金華山山頂部から麓にかけての石垣や曲輪などを描いている。

 絵図の該当箇所には、今回発見された石垣の現地同様、南側に石垣のある平地2カ所、北側に石垣のない平地が四角で描かれている。寸法も書かれ、横の長さは石垣部分で計約28メートル。平地のみの部分は計約32メートル。市教委の簡易測定によると、現場は石垣部分が計約25メートル、平地のみの部分は計約31メートルと近い数値だった。市教委は平地には建物が建っていたと推測、「全て合わせると大きな建物になる。信忠の居館説を裏付ける材料になる可能性もある」と話す。

 市教委はこれまで絵図に描かれている石垣を、馬ノ背登山道で見つかっている石垣と認識していた。今回、新たな石垣が見つかったのを機に絵図を見直したところ、配置が非常に似ているのに気付いたという。「絵図と現地は大きな齟齬(そご)はない。絵図も参考にして現地の調査をしたい」と話している。

 史跡岐阜城跡整備委員会委員長で滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「現代人にとっては新発見だったが江戸の人には知られており、稲葉城趾之図が正確だと分かった。絵図に描かれていて、われわれがまだ見つけていない場所が今後出てくるかもしれない」と指摘し、絵図に基づく調査の必要性を強調した。


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