北恵那鉄道跡、懐かしの風景 廃線40年、中津川市に鉄橋やホーム残る

2018年09月30日 08:49

  • 苗木城跡(右上)からも眺められる木曽川の鉄橋(手前)=中津川市中津川、瀬戸地区境 
  • 付知川の支流、柏原川の鉄橋には枕木が残る=中津川市福岡、田瀬地区境 
  • 石積みのホームが残る並松駅跡=中津川市苗木 

 岐阜県中津川市の中心部と旧付知町を結んでいた電車、北恵那鉄道が廃線になって今年で40年。現在も廃線跡に当時の鉄橋や駅のホームが残り、鉄道ファンが訪れる穴場スポットになっている。地元でも懐かしの電車を再評価する機運が高まり始めている。

 同鉄道は、中央線中津川駅に接していた中津町駅と下付知駅を結ぶ22・1キロ、13駅の路線で裏木曽の山あいを縫うように付知川沿いを走った。木曽川の水力電源開発を主導した実業家福沢桃介によって1924(大正13)年8月に開通。大井ダムの建設で付知川を利用した木材輸送が困難になるため、代替手段として敷設されたのが始まり。木材や石材などの貨物も運んだ。

 同市史によると旅客数は65年の年間約149万5千人がピーク。その後は自動車の普及などで利用が減り78年9月に廃線。線路は旧国鉄の新線計画、下呂~中津川~長野県・飯田駅を結ぶ通称・飯呂線に活用される案もあったが、計画が白紙となり幻に終わった。

 同鉄道の遺構は数多い。苗木城跡(同市苗木)からは木曽川を渡る鉄橋が眺められ、同城跡麓の山之田川の鉄橋は地域の人たちが周囲の雑木を伐採し、観察しやすくなった。並松駅跡(同)には石積みのホームが現存し、公園のように使われている。付知川の支流、柏原川(同市福岡、田瀬境)の鉄橋には枕木が残っている。

 50歳以上には懐かしい同鉄道。地元では子や孫と廃線跡を探索したという人も。再評価の機運は高まり、10月2日からは市中山道歴史資料館で関連の企画展が始まる。当時の車両の前照灯や尾灯、鉄道模型なども展示されるという。


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