遠藤楽氏設計の住宅解体へ 岐阜市の「笠井邸」 

2018年10月05日 08:12

  • 暖炉用に組まれた石組み。フランク・ロイド・ライトが好んだ大谷石とみられる石材が使われている=今年8月、岐阜市、笠井邸 
  • 庭から見た遠藤楽氏設計の笠井邸。広い庭は木々に覆われていた=今年6月、同 
  • 茶室を兼ねた和室の天井に設けられた間接照明=今年5月、同 

 20世紀の米国近代建築界の巨匠、フランク・ロイド・ライトの流れをくんだ建築家の遠藤楽(らく)氏(1927~2003年)が20代半ばに手掛けた住宅が、岐阜市内に残っている。初期の作風を伝える貴重な建築で、市内の建築家らが保存を模索していたが、先月の台風21号で被災。惜しまれながら、解体される見通しになった。

 同市内の市街地の一角にある木造2階建ての「笠井邸」。延べ床面積約190平方メートルで、建築当時としては大胆な20畳の洋風の居間からは、広々とした庭が見渡せた。隣のダイニングには、ライトが好んだ大谷石の暖炉用の石組みが据えられている。

 建物を見た建築家の多田直人さん(64)=同市美園町=は「あえて玄関の天井を低くして、続く居間で開放感を出している。なだらかな階段とスキップフロアの組み合わせなど、構成にライトの雰囲気が出ている」と解説する。

 施主は、戦時中に満州国(当時)の在ドイツ公使館に勤めた故笠井唯計(ただかず)氏。ユダヤ人に「命のビザ」を発給した元外交官、杉原千畝(ちうね)氏の同国外交部時代の後輩にあたる。残された手記には、ハルビン時代に杉原氏の自宅を頻繁に訪れるなどの交流が記されている。

 笠井氏の三男で建築士の建志さん(68)によれば、楽氏の父・新(あらた)氏は満州国の首都新京(現在の長春)に拠点を置いて建築を手掛けており、唯計氏と接点があったという。戦後に自宅の設計を依頼したが、51年に新氏は死去しており、楽氏が53~54年に完成させた。57年に渡米してライトから直接、薫陶を受ける前の時期にあたる。

 建志さんは30年ほど前、4年間ほど楽氏の事務所で働いた。笠井邸が話題に上ったこともあったが、あまり話したがらなかったという。「最初の頃に手掛けたもので、誇るようなものではなかったようだ」と振り返る。

 中でも玄関から入ってすぐ階段がある造りは、「後の楽氏の設計には無い旧来の平面構成」と指摘。一方で、当時は珍しい間接照明を多用して柔らかな雰囲気を生み出す手法は、後に通じる作風と分析する。

 遺族から売却の相談を受けた不動産業、臼井伽織さん(47)=岐阜市大柳町=は今年5月、「壊すのは惜しい」と市内の建築家や大学教員に呼び掛け、「笠井邸をつなぐ会」を立ち上げた。保存を模索していた矢先、台風21号でトタン屋根が吹き飛び、雨水が内部に入り込んでしまった。

 「これで踏ん切りがついた」と所有する長男琢美さん(72)=東京都=。修復すれば2千万円程度かかる見通しで、取材に対し、「私たちの力では維持できない。懐かしい思い出はたくさんあるが、解体しようと思う」と話した。

 【遠藤楽氏】 東京都生まれ。フランク・ロイド・ライトと共に旧帝国ホテル(1923年完成)の設計を手掛けた建築家、遠藤新氏の次男。新氏の事務所を経て57年に渡米し、ライトが開いた建築研究所「タリアセン」で、草木や動物のように無駄のない形の建築を追求した「有機的建築」を学んだ。母校の自由学園(東京都)の図書館や講堂、個人住宅など300超の建築を残した。


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