島崎藤村最後の原稿 飛騨郷土史家遺族が保管

2018年11月15日 07:25

島崎藤村から大野政雄さん宛てに送られた原稿「島崎正樹歌集よ里」

島崎藤村から大野政雄さん宛てに送られた原稿「島崎正樹歌集よ里」

 岐阜県中津川市の旧中山道馬籠宿に生まれた文豪島崎藤村が生前最後に書き終えたとみられる原稿が、県文化財保護審議会会長を務めた故大野政雄さんの遺族の元に保管されている。飛騨一宮水無神社(高山市一之宮町)の宮司を務めた藤村の父正樹に関する原稿で、飛騨地域の郷土史研究を続けていた大野さんが執筆を依頼した。大野さんの四男で元総務省大臣官房審議官の大野博見さん(70)=東京都杉並区=がこのほど、この原稿について「藤村が執筆した最後の完結した原稿」とする論考をまとめ、会報誌に掲載された。

 藤村から1943年7月4日付の書留で送られた「島崎正樹歌集よ里」と題した原稿。「島崎藏」と刷られた特製の原稿用紙8枚に正樹が詠んだ詩歌やその解説が記されており、藤村が他界した後の43年11月に郷土誌「ひだびと」に掲載された。

 原稿は、約11年前に98歳で亡くなった大野政雄さんの遺品の中から見つかった。政雄さんが教員を務めていた若い頃、飛騨にゆかりのある正樹について執筆を頼んだとみられ、依頼に応える藤村からのはがきも残っていた。

 藤村は43年8月、未完に終わった長編小説「東方の門」を執筆中に脳出血で倒れ、他界した。この年には、ほかに新潮の43年5月号に掲載された随想「心心見春草」と、同年9月に発行された江戸末期の幕臣・栗本鋤雲(じょうん)遺稿の「序」を書き上げている。

 博見さんは、藤村や妻の静子からのはがき、随想の掲載日などを調べ、「島崎正樹歌集よ里」が「公表されている完結した原稿としては最後のものと考えられる」ことを検証。中央省庁の現役・OB向け会報誌「大霞(たいか)」に考察を寄稿した。

 博見さんは「藤村が田舎の一教師からの依頼に対して親切に対応してくれたことに驚きを感じている。父親に対する尊敬の気持ちが、藤村と飛騨をつないでいたのではないか」と話している。

 【島崎藤村(しまざき・とうそん)】 1872(明治5)年、筑摩県馬籠村(現中津川市馬籠)生まれ。詩人、小説家として活躍し、父親をモデルに描いた長編小説「夜明け前」や「破戒」などを発表。日本ペンクラブの初代会長を務める。1943年、「東方の門」を執筆中に脳出血で倒れ、71歳で死去した。


カテゴリ: くらし・文化