金華山上部の石垣、信長が築く 岐阜城発掘調査

2018年11月27日 07:35

岐阜市の発掘調査で、織田信長の時代に築かれたと確認された岐阜城の石垣=26日午後2時15分、岐阜市、金華山

岐阜市の発掘調査で、織田信長の時代に築かれたと確認された岐阜城の石垣=26日午後2時15分、岐阜市、金華山

 岐阜市は26日、市内の金華山山頂付近で行った岐阜城跡の発掘調査で、既に見つかっている石垣の一部が、戦国武将織田信長が城主の時代(1567~76年ごろ)に築いたものであると確認したと発表した。山麓の信長公居館跡の石垣と共通する特徴があり、山上部の他の石垣も信長が築いた可能性が高まったとみて、来年度以降も調査を進める。

 市が10月に開始した初の本格的な調査で、岐阜城の馬場から二ノ門の間に位置する、現在の登山道に隣接する2カ所で実施。1区で一部が露出していた石垣は4段分の高さ1・5メートル、長さ4・8メートルが残存し、石垣の裏側に詰める裏込(うらごめ)石の範囲からL字状と判明した。石材が比較的大きく、構造を強固にする間詰(まづめ)石を入念に詰めている点が信長公居館跡の石垣と共通していた。江戸中期の元禄年間に描かれた「稲葉城趾之図」(伊奈波神社所蔵)に記された位置や形状と合致しており、絵図の信ぴょう性が高まった。

 2区では深さ約30センチの層で鉄製の矢尻(長さ14・6センチ、幅2センチ)が初めて見つかった。矢尻が発見されるのは珍しく、同所で最後の戦となる「岐阜城の戦い」(1600年)で使われた可能性がある。上部から転落した裏込石とされる石材なども見つかり、石垣が埋まっている可能性を裏付けた。このほか、両区で瓦など計約500点が出土した。

 滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「岐阜城の山上の構造も明らかになった意義は大きい。こうした石垣がまだ埋もれている可能性が高く、今後の調査で信長の居城の実態が明らかになるだろう」とコメントした。

 市は27日から12月1日まで、発掘現場の見学会を実施する。時間はいずれも午前10時からと午後1時からの2回。


カテゴリ: 社会