大河ドラマ「いだてん」に登場 可児徳、中津川出身の偉人

2019年01月09日 08:03

  • 可児徳(中津川市苗木遠山史料館提供) 
  • 雅号とみられる「霞城徳」の署名が確認できる可児徳の書(中津川市苗木遠山史料館提供) 

 今年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」の放送が始まり、国史跡の山城「苗木城跡」がある岐阜県中津川市苗木地区が、ひそかに注目を集めている。登場人物の一人、東京高等師範学校(現筑波大)助教授の可児徳(いさお)(1874~1966年)が苗木地区の出身だからだ。放送を受けて、市内では可児の功績を伝えようとする機運も高まり始めている。

 可児は「いだてん」で、日本の"マラソンの父"と呼ばれるドラマ前半の主人公・金栗四三(しそう)を指導し、支えた人物として登場する。6日放送の第1話では明治末期の同師範学校助教授時代の可児が、講道館柔道創始者で同師範学校長の嘉納治五郎と共に日本の五輪初参加に向けて奮闘する姿が描かれた。

 市苗木遠山史料館資料調査員の千早保之さん(74)によると、可児は苗木城を拠点とした旧苗木藩で代官などを務めた可児家、可児真対(まつい)の次男として生まれた。同藩の士族一覧には「徳三郎」の名で記されている。生家は現在の玉蔵大橋たもとの木曽川右岸、苗木城跡を望む場所にあったといい、今も可児家の墓が残っている。父・真対はこの地域の名士・市岡家からの養子で、可児もまた市岡家に養子に出ている。

 幼少期の記録には不明な点が多いが、子どもの頃に飛騨高山に転出したようで、斐太高校(高山市)勤務の経験を持つ千早さんが同校卒業生名簿の中に、前身の旧制斐太中学校を卒業した可児の名を見つけている。

 可児は米国などでの留学経験を生かし、嘉納らとスポーツの普及に尽力。ドッジボールを日本に紹介したり、第1回箱根駅伝で同師範学校の監督として総合優勝に導いたりしたと伝わるが、中津川との縁も深い。

 同市加子母出身の内木玉枝が創立した中京裁縫女学校(現至学館大)の後進、中京高等女学校の「家事体操専攻科」設置に関わり、五輪出場者を輩出。金メダリストを量産する現在の強豪女子レスリングにDNAを受け継いでいる。可児は玉枝の兄・保が東京で創立した国華高等女学校の校長にも就いている。

 幼少期に古里を離れた可児だったが、晩年になっても古里を忘れることはなかったようだ。裏付ける可児自筆の書が同史料館に保管されている。1950(昭和25)年に藍綬褒章を受章した時に書いた乃木希典の漢詩で、雅号とみられる「霞城徳」の署名が確認できる。千早さんは「苗木城は『霞ケ城』とも呼ばれていた。苗木城跡を眺めて育った子どもの頃の思いを常に抱えていたのかもしれない」と話す。

 千早さんは可児の孫に当たる女性らとも交流を続けており、放送を機にさらに研究を深め、古里の偉人の功績を伝えていくという。


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