五輪に参加「感謝して」 モスクワ出場断たれた県勢2人がエール

2019年03月11日 08:36

「次代の五輪選手を育てたい思いでいっぱい」と高校生を指導する藤田隆康さん。誰よりも熱い思いで東京五輪を楽しみにする=岐阜市本荘、岐南工業高校

「次代の五輪選手を育てたい思いでいっぱい」と高校生を指導する藤田隆康さん。誰よりも熱い思いで東京五輪を楽しみにする=岐阜市本荘、岐南工業高校

 2020年東京五輪は12日で開幕まで500日に迫り、半世紀ぶりの夏季日本開催への関心が日ごとに高まっている。「平和の祭典」と形容される五輪だが、政治の影響で日本がボイコットした五輪があることを知っているだろうか。1980年のモスクワ五輪。県でも出場に懸けた2選手が"幻の五輪"ショックに打ちひしがれた。それだけにいよいよ迫った東京五輪に期待を込めている。

 ボイコットは79年末のソ連のアフガニスタン侵攻が契機。米国を中心に動きが拡大し、日本政府は80年4月に不参加の方針を決定、日本オリンピック委員会(JOC)も5月の総会で決定した。重量挙げで72年ミュンヘン出場、76年のモントリオール銅メダリストの安藤謙吉さん(68)=土岐市=は、3度目の五輪出場を決めていたが、東京・世田谷の合宿所でコーチから聞かされ「減量に入っており、虚無感が強かった。周囲がモスクワ五輪という言葉を発することも気が引けている感じだった」と記憶をひもとく。

 「何のためにここまでやってきたんだと、しばらく何も考えられなかった」と思い起こすのはレスリングの藤田隆康さん(62)=岐阜市、岐南工業高レスリング部監督=。79年、全日本選手権で優勝、モスクワ五輪の最有力候補だった。76年、日体大時代に遠征帰りに乗り換えでソ連に立ち寄った時「4年後、ここに立つんだと言い聞かせた」と述懐。A型肝炎で2カ月間入院するなど苦しい時期も乗り越え、78年春、本来なら大学卒業だったが「五輪に出場することが目標」と当たり前のように東京に残る決断をした。

 それほど強く思い描いた夢もかき消され、政府が不参加を決めた後の五輪代表予選はリーグ戦初戦敗退後に棄権した。「果たせなかった夢を背負ってくれる若い五輪選手を育てるという志が、より強くなった」と指導者の道へ。以来、約40年を経た今も強い思いで指導者として戦い続けている。「スポーツには政治や宗教などの違いを乗り越える力がある。今では当たり前だが、その事実に感謝し、思う存分戦ってほしい」と東京を戦うオリンピアン、パラリンピアンに熱いエールを送る。


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