悲しみの先へ 東日本大震災から8年

2019年03月11日 07:39

福島県から避難して8年になる小野久美さん。玄関の郵便受けには、郷里の広報誌が届いていた=7日、高山市内

福島県から避難して8年になる小野久美さん。玄関の郵便受けには、郷里の広報誌が届いていた=7日、高山市内

 東日本大震災は11日、発生から8年を迎えた。8日現在の警察庁のまとめでは、岩手、宮城、福島の3県を中心に死者は1万5897人、行方不明者は2533人に上る。11日は午後2時46分の発生時刻に合わせて、全国各地で追悼行事が行われる。10日も被災地では祈りがささげられた。

 2011年3月の福島第1原発事故で福島県南相馬市から避難した小野久美さん(47)=高山市=は、苦悩の中で8年間を過ごしてきた。異郷の地で長女はいじめに遭い、自らも健康不安を抱えた。「黙っていたら、私たちのつらい思いが無かったことにされてしまう」と国と東京電力を相手取った岐阜・愛知の原発避難者訴訟の原告にも加わっている。


 自宅は第1原発の北西約22キロ。騎馬武者が神旗を奪い合う「相馬野馬追」で知られる原町区にある。東日本大震災当時、夫(50)は下呂市に単身赴任中で、義理の両親と小6の長女、小3の長男と5人で暮らしていた。

 津波被害や自宅の損壊は免れたが、商店やガソリンスタンドは閉まり、学校に避難者が身を寄せるように。3号機の水素爆発の際は「ゴゴゴゴッ」という地響きを聞いた。

 「もう、いられない」。子どもと一緒に車で避難したのは15日朝。地割れの段差、突き出たマンホールを避け15時間かけて夫の元にたどり着くと、深夜の駐車場で初めて深呼吸した。

 「長居するつもりじゃなかった」という雇用促進住宅での新生活。卒業式もなく級友と散り散りになった長女は、慌ててそろえた制服と学用品で、知り合いのいない中学に通うことになった。

 小学生時代はバレーボールのセッター、児童会の役員も務め快活だったが、次第に表情を失い、わずか2カ月で不登校に。過食、昼夜逆転の生活が続いた。「放射能がうつる」「福島に帰れ」と一部生徒から心ない言葉を投げ掛けられていたことを後に知った。

 通信制高校を経て、今はアルバイトをするまで元気にはなった。母親として「娘にはしんどい生活をさせてしまった。『何でもないよ』と地元にとどまれば、また違ったんじゃないかと思う時もある」と葛藤を口にする。

 それでも自主避難を続けた理由の一つは健康不安。子ども2人は甲状腺検査で液体がたまるのう胞が見つかった。自身も昨年、しこりや甲状腺疾患が判明、年1回の検査を受け続けることになった。

 福島県の18歳以下約38万人を対象にした県民健康調査では、昨年末までに166人が甲状腺がんと診断された。評価部会は2巡目(14~15年度分)について「現時点で被ばくの影響がみられない」とするが、因果関係の議論は続いている。

 昨年11月の名古屋地裁で証人尋問に臨んだ小野さんは「戻ると放射線の影響を受けるのでは」と懸念を示し、続けた。「生活は全く落ち着いていない。2、3年後すら見通せていない。戻るかもしれないし、戻らない決断をするかもしれない」

 そんな避難生活にあっても、最近うれしいことがあった。今月20歳になる長女のため、事情を知る通信制高校の恩師(59)が1月に高山市で独自の成人式を開いてくれた。

 参列した新成人は長女と同級生の2人だけ。黒と紫の花柄の振り袖姿で、はにかむ娘に付き添い、小野さんは「言葉になんないよ」。8年の歳月を思い、目を潤ませた。

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 岐阜県によると、東日本大震災と福島第1原発事故に伴う県内の避難者数は、2月1日現在で213人。


カテゴリ: 社会