名将大野監督退職、新たな才能発掘へ 来月から民間スクールで指導

2019年03月20日 08:25

「これからもサッカーの若い才能を見いだし続けたい」と意気込む大野聖吾監督=大垣市浅中、浅中公園多目的広場

「これからもサッカーの若い才能を見いだし続けたい」と意気込む大野聖吾監督=大垣市浅中、浅中公園多目的広場

 全国高校選手権で岐阜工高を戦後県勢最高の準優勝に導き、Jリーガーを輩出するなど県高校サッカーのレベルを高めた名将大野聖吾監督(60)=現大垣工高監督=が、3月末で定年退職する。4月以降は、中学生以下のジュニアユースを対象にした、民間のサッカートレーニングスクールで指導する。県だけでなく新たなリーグの創設や国体少年種別の16歳以下化など、日本サッカーが世界で勝つための高校年代の強化に38年間の指導者人生をささげてきた。それだけに「もっとサッカー界の発展に貢献したい」と新たな決意に燃えている。

 全国選手権の県勢は1933年に岐阜師範が優勝しているが、サッカー王国静岡出身の大野監督が県で指導者になってからも全国で結果が出なかった。だが、卓越した戦術、戦略を駆使し、個々の能力の高い全国の強豪に勝てる組織サッカーを確立し、98年に全国高校総体で準優勝に導いた。「組織を強くするために個を高める」信念の下、一気に開花したのがJ入りしたFW片桐淳至選手、GK荻晃太選手らを擁した第80回大会。69年ぶりの優勝こそ逸したが、戦後唯一、決勝のピッチを踏んだ。大垣工高でも、2012年の全国総体出場に導くなど高い指導力を発揮した。「選手の光るものを一緒に磨き上げる作業」と指導の醍醐味(だいごみ)を語る。

 大野監督の目線の先に常にあるのは世界で、鹿児島実高元総監督の故・松沢隆司氏ら先見的な指導者とともに組織する「高校サッカーを考える会」の一員として、高校年代の日本サッカー改革に尽力した。「どうすれば強化がスムーズにできるかという考えで行動した」と懐かしむ。

 4月からの新たな挑戦に「高校指導者として優れた人材を輩出してくれる県トレセンの存在の大きさを痛感していた。次は自分がその役割を担い、子どもたちにもっとサッカーの楽しさを伝えたい」と胸を躍らせる。県が誇る名将のサッカーへの情熱は、強まるばかりだ。

 【略歴】筑波大卒業後の1981年、岐阜藍川高を皮切りに岐阜工高、大垣北高、大垣工高の指導者を歴任。全国高校選手権18回、全国高校総体17回出場。選手権と総体では準優勝となり、7人のJリーガーを育てた。2014年には日本高校選抜の監督を務めた。1958年生まれの60歳。静岡県藤枝市出身。


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