パラ五輪500日、夢続く がんと闘い最期までバスケ練習

2019年04月13日 09:13

  • 家族で移動動物園を見に行った竹下幸子さん。がんと闘いながら、自分らしい生き方を貫いた=昨年10月、名古屋市(貴文さん提供) 
  • 試合会場に置かれた竹下幸子さんの車いすとユニホーム。夫の貴文さんもボランティアスタッフとしてベンチから戦況を見つめる=3月、名古屋市中村区、市中村スポーツセンター 

 東京パラリンピックの開幕まで13日で500日になり、多くのパラアスリートが自国開催の夢舞台を待ち望む。岐阜市出身で、2004年アテネ大会車いすバスケットボール女子に出場し、5位になった竹下(旧姓後藤)幸子さんもその一人になるはずだった。だが昨年11月、がんとの闘病の末、40歳で亡くなった。夫の貴文さん(47)は、妻が何度も口にしていた二つの言葉を思い出す。「障害者スポーツの存在を伝えるチャンス」「一過性のブームで終わらせてはいけない」。幸子さんは最期の瞬間まで、東京大会に障害者スポーツの未来を懸けていた。

 幸子さんは先天性の脊髄(せきずい)損傷で幼少期は支えなしでは歩けなかった。20歳の頃にチェアスキーなど本格的なスポーツを始め、車いすバスケに出合って愛知のクラブチーム「ブリリアント・キャッツ」で活動。点取り屋として急成長し、日本代表にもなり、アテネ大会での5位入賞に貢献した。共に出場した、同クラブチームのアシスタントコーチ大島美香さん(47)=愛知県尾張旭市=は「チーム一の負けず嫌い。ボールの取り合いになると相手の体ごと振り回していた」と振り返る。「負けないために誰よりも努力する人だった」

 ぼうこうがんが見つかったのは昨年2月。既に肺に転移していたためステージ4と診断され、同3月、抗がん剤治療が始まる。それでも、バスケの練習をやめず、仕事も続けた。家族との時間が力になり、花見や夏祭り、野球観戦―。長男の龍之介ちゃん(5)を連れて出掛けた。肺のがんが次第に小さくなり、経過は良好だった。10月、福井県で行われた全国障害者スポーツ大会にも出場した。しかし、がんは脳に転移し、入退院を繰り返すように。「こんなことでは死なないよ」と、病室でも気丈だったが、肝臓にも転移した。「酸素マスクをしてでも行く」。全日本大会に出場するチームの応援に行くと話していた翌日、息を引き取った。

 幸子さんがクラブチームで着けた背番号13は永久欠番になり、試合では幸子さんのユニホームと車いすがコートの傍らに置かれる。大島さんは語る。「ここに集まっている人にとって、バスケは人生を幸せにする手段。限られた範囲の中で我慢するのでなく、自分で選んで切り開くのだと」。それを力強く体現していたのが幸子さんだった。

 貴文さんが「結婚しても出産しても、がんになってもバスケを続けた。自分の姿が、誰かの力になると信じていたからでしょう」と語るように、幸子さんの思いは多くの人々の中で生き続ける。車いすバスケ女子日本代表は開催国枠で、4位となった北京大会以来12年ぶりのパラリンピックの舞台に挑む。


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