金華山山上に「道三の石垣」 岐阜城裏門、信長も利用

2019年04月25日 07:58

  • 金華山の山上部で発見された、斎藤道三の時代に築かれた石垣=岐阜市、金華山(岐阜市提供) 
  • 山上部の裏門の復元イメージ図(岐阜市提供) 
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 岐阜市は24日、市内の金華山の山上部を中心に実施した岐阜城跡の調査で、同城天守の北東にある裏門周辺で斎藤道三が城主の時代(1539~56年ごろ)に築かれたとみられる石垣や、織田信長の時代(1567~76年ごろ)に築かれたとみられる石垣と巨石列を発見した、と発表した。山上部で道三期の石垣が発見されたのは初めてといい、信長が山上部の改修で道三期の石垣を利用していたことも初めて確認された。今回の発見は、これまで明らかにされなかった裏門の構造解明につながり、市は今後も調査を継続する。

 石垣と巨石列が見つかったのは登山道の水手道(めい想の小径)と鼻高ハイキングコースの分岐点。道三期の石垣は3段で、幅約180センチ、高さ約90センチ、信長期の石垣は2段で、石材の幅は約80センチ、高さ約30センチ。信長期の巨石列は、九つの石材で構成され、最大の石材が幅約140センチ、高さ約160センチ。これらは裏門を構成する一部とみられる。

 市教育委員会によると、山麓の信長居館跡で道三期の石垣が見つかっているが、信長が利用した形跡はないという。道三期の石垣は、石材が小さく、垂直に近い形で積み上げられ、高さも低い一方、信長期は、巨石列をはじめ石材が大型で、石の短辺と長辺を交互に組み上げる「算木積(さんぎづ)み」風の手法を用いる特徴などがあり、これらを基に石垣を見つけたとしている。

 信長は、門を石垣で改修したり、天守周辺で石垣を構築したりするなど山上中心部で大改修を行った。裏門で道三期の石垣が見つかり、信長が道三期の石垣を利用して改修したことが判明。また、信長は正門の一ノ門だけでなく、裏門も巨石列で出入り口を構築。裏門は物資の運搬や人の往来に使われ、一ノ門と同程度に重要な門と位置付けられるといい、信長が巨石を用いて「見せる」城づくりを行い、権威を誇示していたことが裏付けられた。

 江戸中期の元禄年間に描かれた「稲葉城趾之図」(伊奈波神社所蔵)に記されている裏門周辺の石垣と位置が合致し、現地の遺構を詳細に確認して描かれていることが分かり、史料の価値が再認識された。

 滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「道三期の石垣が残されていることが判明し、裏門の遺構と道三期の石垣が同時に発見された意義は大きい」とコメント。柴橋正直岐阜市長は「道三と信長という時代のリーダーの足跡が岐阜城に同居していることが明らかになった。今後も調査を続け、市の魅力を全国に伝えたい」と述べた。

 調査は1月から4月初旬まで行った。発見箇所は見学可能。現地に説明板を設置しており、25日から岐阜公園内の発掘調査案内所、天守などで説明資料を配付する。


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