「光秀伝説」の信用度は 史料分析、生まれた背景解説

2019年09月10日 08:31

県内各地に伝わる「光秀伝説」の信用度を評価する土山公仁さん=岐阜市橋本町、ハートフルスクエアーG

県内各地に伝わる「光秀伝説」の信用度を評価する土山公仁さん=岐阜市橋本町、ハートフルスクエアーG

 戦国武将の明智光秀を題材にした「光秀を追う」を岐阜新聞で連載する愛知淑徳大非常勤講師の土山公仁さん(63)=岐阜市=が8日、同市橋本町のハートフルスクエアーGで開かれた「第24回連句フェスティバル・ぎふ」(県連句協会主催)で講演した。県内各地に残る"光秀伝説"の根拠となる史料の信用度を分析し、伝説が生まれた背景などを解説した。

 土山さんは「県内には光秀の産湯に使った井戸(出生地)がたくさんある」として恵那、瑞浪、土岐、可児、山県市や可児郡御嵩町などに残る光秀伝説の信用度を評価。光秀が美濃国の出身で土岐氏の一族だったことは光秀と同時代の人物が書き残していることから信用度は高いとした上で、特に土岐市出生説を強調して説明した。光秀と親しかった京都・吉田神社の吉田兼見の日記などで光秀の妹が「妻木」と呼ばれていることに注目。「戦国時代は嫁ぎ先でも実家の姓で呼ばれることが多かった」として兄の光秀も、土岐市の妻木城を拠点とした土岐明智氏一族の妻木氏に生まれたとする説を有力視した。

 また、明治時代の櫛田道古の書物を根拠にすると御嵩町の顔戸城も出生地としてPRできることや、山県市には「山崎の戦い」を逃げ落ちた光秀の生存説が古くから受け継がれていること、揖斐郡揖斐川町にも光秀伝説が多くあることなどを紹介した。


カテゴリ: くらし・文化