ラグビーの和名「闘球」秘められた戦争の記憶

2019年10月03日 11:08

  • 予科練の訓練に採り入れられていた「闘球」の風景。写真を着色した「土浦海軍航空隊絵葉書集」の一枚(飯田さん提供) 
  • 「ラグビーを戦争に利用してはいけない」と戒め、平和的に開催されているラグビーW杯日本大会での各国選手の活躍に期待する飯田一さん=可児市今渡 

◆旧海軍訓練で採用

 ラグビーW杯日本大会が国内外から大勢のファンを集め、盛り上がっている。19世紀の英国発祥のスポーツで、日本には明治時代に紹介されて以降、120年の歴史を培ってきたラグビー。和名では「闘球(とうきゅう)」の漢字を当てることもあるが、この二文字には悲しい戦争の記憶も刻まれている。戦争のための闘球を経験した元海軍航空兵は「戦争に利用してはいけない」と訴える。

 もともと闘球は、ラグビーを参考にして考案された類似スポーツだった。〝戦闘訓練〟と呼んだ方が近いかもしれない。太平洋戦争中、旧海軍が航空兵の早期養成のため、14~17歳を対象にした「予科練」の訓練に採り入れられていた。出身者の多くが神風特攻隊などとして戦地に赴き、戦死した、あの予科練だ。

 予科練では1930年に最初の養成拠点が置かれた横須賀海軍航空隊(神奈川県)の頃から本来のラグビーが盛んだった。拠点が土浦海軍航空隊(茨城県)に移転後、太平洋戦争が開戦すると全国に養成拠点が広がり、入隊者が急増。効果的な訓練の一つとしてラグビーの複雑なルールを簡略化し、より攻撃的な試合をする闘球が考案された。

◆空中戦に類似

 当時の闘球のルールは長野県伊那市生まれの予科練出身者、下平忠彦さんの著書「海の若鷲『予科練』の徹底研究」に詳しく紹介されている。グラウンドは両陣地に「接敵地帯」と「突撃地帯」が設けられ、トライを狙うインゴールエリアは中央が「本陣」、その両脇が「陣翼」。本陣へのトライは「命中球」と呼んで3点、陣翼へは「有効球」として1点が得られた。

 接敵地帯では投げ球(パス)で連携しながら前進するが、突撃地帯では球を持って走ることが原則で、球を持っていない選手へのタックルも認められた。前方に蹴って得点を狙ったり、距離を稼いだりするプレーは、海軍の攻撃精神からすると「邪道」とされた。下平さんは「敵味方の戦闘機群が、相互に入り乱れて、食うか食われるかの空中戦を演ずるのによく似た勇壮な球技(中略)爆弾を抱えて敵艦に体当たりする特攻隊の姿によく似ている」と記している。

◆攻撃精神養う

 「軍人精神や攻撃精神を養うことが目的だった」。こう振り返るのは、予科練出身で、海軍時代に飛行兵曹長として攻撃機に乗っていた飯田一(ひとし)さん(94)=可児市今渡=。加茂郡八百津町で育ち、予科練の難関試験を突破して41年に土浦海軍航空隊に入隊した。「大空は君たちを待っている」と呼び掛ける少年雑誌「少年倶楽部(くらぶ)」を読んで予科練に憧れ、志願した。モールス信号の打電が得意で、攻撃機に乗り込んで南方に出撃。エンジンに被弾して命からがら不時着したこともあったが、台湾で終戦を迎えることができた。

 予科練時代、飯田さんは背が高く体も大きかったことから積極的に闘球に取り組まされた。チームのプレーは荒く「負けたら命はないぞ。死んでもええで、ぶつかれ」とあおられ、5、6メートル手前から加速をつけて勢いよく体当たりした。試合に負けると野球のバットよりも太い「海軍精神注入棒」と呼ばれたカシのこん棒で力いっぱい、何度も尻をたたかれた。海軍式の体罰だった。飯田さんは「そりゃ苦しかった。教官のねたみもあって必要以上にしぼられた」と振り返る。

◆「戦争に利用してはいけない」

 桜ジャージーの日本代表が快進撃を続けるラグビーW杯。飯田さんは、フェアプレー精神で闘う選手や国内外のファンが交流を深める姿に「平和でいい。戦時中は戦争のためにラグビーをしたが、戦争に利用してはいけない。戦争は絶対にやってはいけない」と語気を強める。


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