高木守道さん、岐阜の球道者 県岐阜商の黄金期築く

2020年01月18日 07:45

  • 第100回全国高校野球選手権記念岐阜大会決勝戦前の始球式で、打席に立つ高木守道氏=2018年7月、岐阜市長良福光、長良川球場 
  • 野球教室で次代を担う少年育成にも情熱を傾ける高木守道氏=05年12月、揖斐郡池田町、池田公園野球場 

 岐阜県出身のプロ野球打者で最多の2274安打を放ち、ドラゴンズの監督を2度務めた高木守道さんの突然の訃報に母校県岐阜商高はじめ県内関係者は驚きと深い悲しみにうちひしがれ、悼んだ。

 県岐阜商高1年時にコーチとして来校した当時立教大生だった長嶋茂雄さんの目にとまり、アドバイスによりレギュラーになり、1957年夏に1年生の2番二塁手で全国高校選手権ベスト8に貢献した話は有名。高木さんの5年後輩で、長年にわたり、母校の監督、部長を務めた小川信幸さん(73)も「岐商の黄金期を築かれた憧れの人で、目指す方のお一人。寂しい気持ちでいっぱい」と声を詰まらせる。「プロを目指す生徒たちの目標であるとともに毎年、後輩たちのためにとバットやボールを寄贈いただくなど物心両面で支えていただいた」と在りし日を語る。

 高木さんは3年時の59年には主将として選抜に出場し、準優勝に導いた。同級生で県岐阜商高でコーチも務めた国井恒男さん(78)は「練習メニューを自ら考え、引っ張ってくれた。責任感が強く、頼りになる主将の姿は今も脳裏に鮮明によみがえる」と懐かしむ。

 現在、県岐阜商高の鍛治舎巧監督(68)にとっても憧れの存在。「私が野球を始めたきっかけが幼い日に球場で見た高木先輩の度肝を抜くバックトス」と代名詞の華麗な二塁守備を思い起こす。「プロとアマ、道は分かれたものの日米野球サミットをはじめ接点は多く、親しく接していただいた」と回想。同高は今春の選抜出場をほぼ確実にしており、「御霊前によい報告ができるよう全身全霊を傾けて戦い抜きます」と名門復活を果たす春にすることを強く誓った。


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