各務原空襲から75年 市内で一斉に「平和の鐘」

2020年06月23日 09:52

各務原空襲の犠牲者を悼む「平和の鐘」を鳴らす男性(右端)や戦争体験者ら=22日午前9時30分、各務原市蘇原伊吹町、桂雲寺

各務原空襲の犠牲者を悼む「平和の鐘」を鳴らす男性(右端)や戦争体験者ら=22日午前9時30分、各務原市蘇原伊吹町、桂雲寺

 太平洋戦争末期に多数の犠牲者が出た各務原空襲から75年の22日、各務原市の31の寺院で、犠牲者を悼む「平和の鐘」が一斉に鳴らされた。同市蘇原伊吹町の桂雲寺で鐘を鳴らした男性(84)=同市那加北洞町=は、22日の次に被害が大きかった26日の空襲で機銃掃射された経験を振り返り、「体験を語れるのは自分たちが最後。どんなことがあっても戦争は避けなければならない」と語った。

 市は、大規模空襲で169人以上の犠牲者が出た6月22日を「平和の日」に定めている。「平和の鐘」は、各務原ユネスコ協会が平和の日に合わせて、2008年から毎年市仏教会の協力で行っている。同市では、市内の航空機工場などを目的とした空襲が度々あり、中でも6月22、26日が被害が大きかった。

 石田さんは当時小学4年生。26日は警戒警報で一斉下校となり、下校中に航空機工場が燃えているのを川の堤防で見ていたところ、背後から響く「キーン」という音に驚き振り向くと、米軍機がすぐそばに機銃掃射した。辺りは隠れる場所のない田畑で、用水路の中を友人と逃げていると、「トラックの下にもぐれ」と言われて隠れ、警報が解除されてから家に帰った。「人影を見れば大人でも子どもでも撃ってきた」と恐怖を語る。

 また、近所には飛行機が疎開して隠されており、兵隊たちが整備する音が朝から夜中までしていた。しかし、食料不足のため、兵隊たちはヘビやカエルを捕まえたり、家の食べ残しを持って帰ったりしていた。「民家に食べ物をもらったことがばれると上官から暴力を振るわれていて、とても惨めに思った」。終戦の玉音放送を聞いたときは「いっぺんに力が抜けた」という。「平和になった今はいい時代。逃げる必要はなく食べ物もある。子どもたちには仲良く穏やかに暮らすことが大切だと伝えたい」と語った。


カテゴリ: くらし・文化 社会