コロナ禍、祈りの障壁 全国戦没者追悼式、出席迷う

2020年07月25日 08:22

大型爆弾の犠牲になった父の名前が刻まれた石碑に手を合わせる安田寛さん=24日午前9時、大垣市高砂町

大型爆弾の犠牲になった父の名前が刻まれた石碑に手を合わせる安田寛さん=24日午前9時、大垣市高砂町

 75年前の7月24日午前8時ごろ、岐阜県大垣市高砂町の旧県農業会支部の付近に大型爆弾が落とされ、支部の職員や通行人ら20人が犠牲になった。支部に勤めていた父親の安田義男さんを亡くした安田寛さん(82)は24日、自宅近くを流れる水門川のほとりに建つ、父の名前が刻まれた石碑「被爆の跡」に静かに手を合わせた。

 大型爆弾は、長崎に落とされた原爆と同型で、米軍は訓練として18都市に投下し多くの犠牲者を出した。安田さんは当時、小学2年生。両親が仕事に出掛けており、支部から100メートルほど離れた自宅に1人でいた。空襲警報が鳴って庭から家に入ったが、爆音がすると目の前は土煙で何も見えず屋根は吹き飛ばされた。「夜になって、星を見ながら寝ていたのを覚えている」と振り返る。

 市内の寺に運ばれた父親の遺体を、安田さんは見ていない。確認した親戚は「見せなくて良かった。顔はなくなっていて、ベルトと靴のほか、6月の田植えを手伝ったときに手の爪が黒くなっていたので義男さんとわかった」と後になって話してくれたという。

 幼い安田さんは突然いなくなった父親の死をしっかりと受け止められず、戦後は大垣駅まで出掛け、復員する兵隊たちの中に父がいないかと捜したこともあった。「兵隊ではないから、帰って来るわけがないのに」。しかし、父親が亡くなって5日後の大垣空襲や戦後の食糧難を母と2人で生き延びた日々を思うと、「いつも父が見守ってくれていたよう」と感謝する。

 市戦災遺族会の会長も務める安田さんは、8月15日には毎年、東京都で開かれる全国戦没者追悼式に参加してきた。今年は新型コロナウイルスの感染が拡大しているため、式典は縮小して催される。安田さんは昨年手術をしたばかりで、感染者が増え続ける東京行きを家族は心配する。安田さんは「感染は怖いが、親のためにせっかく開いてくれるのに行かないのは申し訳ないという気持ちもある」と迷いを明かす。コロナ禍に襲われた戦後75年の節目。「体が動けるうちはずっと行こうと決めていた。どうしようもないが、まさかこんなことになるとは」と揺れる気持ちを抱えている。


カテゴリ: 新型コロナウイルス 社会